論文 |
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変わりゆく感覚—沖縄における養豚の専業化と豚肉市場での売買を通じて | 比嘉 理麻 | 357 |
大量死の意味をめぐるローカルな知の生成と実践—済州4・3事件の民間人死者および行方不明者にまつわる父系出自集団の記録をめぐって | 高 誠晩 | 378 |
経済取引における「賭け」と「フレンドシップ」—カトマンズの観光市場、タメルにおける宝飾商人の事例から | 渡部 瑞希 | 397 |
研究展望 |
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世俗主義批判の射程—イスラーム復興に関する人類学の最前線 | 谷 憲一 | 417 |
資料と通信 |
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エボラ熱流行への人類学の対応—アメリカとイギリスの人類学者の取組み | 杉田 映理 | 429 |
民族生物学会第14回国際学術会議報告(於ブータン) | 金子 守恵 | 433 |
「イメージの力—国立民族学博物館コレクションにさぐる」展—国立新美術館と民博、そして日本文化人類学会との協働の試み | 吉田 憲司 | 439 |
公開シンポジウム「アートと人類学—いまアートの普遍性を問う」 | 春日 直樹 | 444 |
公開シンポジウム「人類学の明日、人類学との明日—『いま・ここ』から考える」 | 木村 周平・他 | 447 |
人類学会世界協議会(WCAA)10年が経って | グリスタ・L・ヒベイロ | 451 |
これからの日本の文化人類学と世界 | ゴードン・マシューズ | 455 |
日本文化人類学会50周年記念国際研究大会(IUAES 2014 with JASCA)と世界の人類学 | 小泉 潤二 | 460 |
特別寄稿 |
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特別寄稿への序 | 太田 好信 | 467 |
ある危機からの構築にむけて—「21世紀の日本文化人類学会の国際化とグローバル化」に関する問題提起 | 関根 康正 | 469 |
書評 |
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高倉浩樹・滝澤克彦編『無形民俗文化財が被災するということ—東日本大震災と宮城県沿岸部地域社会の民俗誌』 | 飯田 卓 | 480 |
菅豊著『「新しい野の学問」の時代へ——知識生産と社会実践をつなぐために』 | 床呂 郁哉 | 482 |
宮西香穂里著『沖縄軍人妻の研究』 | 上杉 妙子 | 485 |
門田岳久著『巡礼ツーリズムの民族誌—消費される宗教経験』 | 早川 和哉 | 488 |
山口未花子著『ヘラジカの贈り物—北方狩猟民カスカと動物の自然誌』 | 石倉 敏明 | 492 |
岸上伸啓著『クジラとともに生きる—アラスカ先住民の現在』 | 浜口 尚 | 495 |
論文 |
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農業協同組合幹部の「つながり」から生起する公共性—ラオス人民民主共和国のコーヒー農業協同組合の事例から | 箕曲 在弘 | 219 |
北インド・チベット系社会における選挙と親族—スピティ渓谷における親族関係ニリンの事例から | 中屋敷 千尋 | 241 |
子ども/大人であることをする—マリンケにおける教育の場の制度化について | 今中 亮介 | 264 |
シンガポールの寺廟祭祀における主席・道士・童■ | 福浦 厚子 | 285 |
衣装がつなぐ母娘の「共感的」関係—中国貴州省のミャオ族における実家・婚家間の移動とその変容 | 佐藤 若菜 | 305 |
書評 |
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西井凉子編『人はみなフィールドワーカーである—人文学のフィールドワークのおすすめ』 | 平田 晶子 | 328 |
柄木田康之・須藤健一編『オセアニアと公共圏—フィールドワークからみた重層性』 | 田中 正隆 | 332 |
志賀市子著『〈神〉と〈鬼〉の間—中国東南部における無縁死者の埋葬と祭祀』 | 川口 幸大 | 335 |
宮永國子『英対話力—コミュニケーションで出会うあたらしい自分』 | 四條 真也 | 339 |
高倉浩樹・木村敏明監修、とうしんろく(東北大学震災体験記録プロジェクト)編『聞き書き震災体験—東北大学90人が語る3.11』 | 内尾 太一 | 343 |
<特集>「先住民性」再考試論—ローカルな展開と「関係的」理解 | ||
序—「先住民性」再考試論 | 山内 由理子 | 95 |
論文 | ||
制度の中の「伝統」—アメリカの養子縁組制度における「ハーナイ」の機能に関する一考 | 四條 真也 | 104 |
「出自性」と「関係性」—シドニー南西部郊外における「先住民性」の展開 | 山内 由理子 | 124 |
羊をめぐる展望—グリーンランドの先住民性の構築 | 林 直孝 | 143 |
研究展望 |
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天文と人類学 | 後藤 明 | 164 |
書評 |
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鈴木晋介著『つながりのジャーティヤ—スリランカの民族とカースト』 | 名和 克郎 | 179 |
Oka, Masao "Kulturschichten in Alt-Japan"(2Bde.), herausgegeben und einer Einleitung versehen von Josef Kreiner |
山田 仁史 | 182 |
前山隆著『文学の心で人類学を生きる—南北アメリカ生活から帰国まで十六年』 | 松岡 秀明 | 184 |
Nakamura, Mitsuo "The Crescent Arises over the Banyan Tree: A Study of the Muhammadiyah Movement in a Central Javanese Town, c.1910s-2010" 2nd Enlarged Ed. |
多和田 裕司 | 187 |
楊海英著『植民地としてのモンゴル—中国の官制ナショナリズムと革命思想』 | 上水流 久彦 | 190 |
瀬川昌久編『近現代中国における民族認識の人類学』 | 大田 千波留 | 194 |
会長就任にあたって |
第26期会長 関根 康正 | 199 |
論文 |
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ウズベキスタンにおけるバザールと生計戦略—カシュカダリヤ州北部、手織り物売買の事例から | 宗野 ふもと | 1 |
アジールとしての「日本」—アメリカの大学キャンパスにおけるオリエンタリズムの変容と解体 | 井上 雅道 | 25 |
研究ノート |
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北方樹林の愛鳥家—内陸アラスカにおける動物を殺す/生かすこと | 近藤 祉秋 | 48 |
書評 |
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田辺繁治『精霊の人類学—北タイにおける共同性のポリティクス』 | 森田 敦郎 | 61 |
中田英樹著『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民—人類学が書きえなかった「未開」社会』 | 池田 光穂 | 63 |
塚田健一著『アフリカ音楽学の挑戦—伝統と変容の音楽民族誌』 | 滝 奈々子 | 66 |
川橋範子著『妻帯仏教の民族誌—ジェンダー宗教学からのアプローチ』 | 嶺崎 寛子 | 70 |
小田博志・関雄二編『平和の人類学』 | 佐川 徹 | 73 |
論文 |
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不可視の世界を畳み込む—固体地球物理学の実践における「観測」と「モデリング」 | 森下 翔 | 449 |
沈黙の共同性—フランスのマヌーシュ共同体における「沈黙の敬意」に関する考察 | 左地 亮子 | 470 |
上座仏教徒社会ミャンマーにおける「出家」の挑戦—贈与をめぐる出家者/在家者関係の動態 | 藏本 龍介 | 492 |
資料と通信 |
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日本文化人類学会次世代育成セミナー報告 | 文化人類学教育委員会次世代育成セミナー実施運営委員会 | 515 |
書評 |
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フランツ・ボアズ著、前野佳彦編・監訳、磯村尚弘・加野泉・坂本麻裕子・菅原裕子・根本峻瑠訳『北米インディアンの神話文化』 | 近藤 祉秋 | 519 |
平田昌弘著『ユーラシア乳文化論』 | 尾崎 孝宏 | 521 |
Lock, Margaret “The Alzheimer Conundrum: Entanglements of Dementia and Aging” | 池田 光穂 | 525 |
ジェルメーヌ・ティヨン著、宮治美江子訳『イトコたちの共和国—地中海社会の親族関係と女性の抑圧—』 | 細井 由香 | 528 |
片岡樹・シンジルト・山田仁史共編『アジアの人類学』 | 山口 裕子 | 532 |
中原聖乃著『放射能難民から生活圏の再生へ—マーシャルからフクシマへの伝言』 | 飯嶋 秀治 | 535 |
<第8回日本文化人類学会賞受賞記念論文> | ||
「原野の人生」への長い道のり—フィールドワークはどんな意味で直接経験なのか | 菅原 和孝 | 323 |
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「繋ぐ者」の連帯と開かれた交渉の場—現代インドを生きる仏教徒たちの改宗運動 | 根本 達 | 345 |
越境する子どものアイデンティティと「家族」の表象—アメリカ合衆国におけるフィリピン系1.5世代移民の事例から | 関 恒樹 | 367 |
研究ノート |
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経済自由化以後の現代インド社会を生きる鉄鍛冶業の戦略と共生 | 齋藤 貴之 | 399 |
メディアと交差する日常実践—メルボルンの剣道形と日本武道をめぐる表象 | 前川 真裕子 | 412 |
書評 | ||
石垣直著『現代台湾を生きる原住民—ブヌンの土地と権利回復運動の人類学』 | 山路 勝彦 | 424 |
太田好信著『政治的アイデンティティの人類学—21世紀の権力変容と民主化にむけて』 | 池田 光穂 | 426 |
須永和博著『エコツーリズムの民族誌—北タイ山地民カレンの生活世界』 | 徳安 祐子 | 430 |
田中雅一著『癒しとイヤラシ—エロスの文化人類学』 | 加賀谷 真梨 | 432 |
村尾るみこ著『創造するアフリカ農民—紛争国周辺農村を生きる生計戦略』 | 松本 尚之 | 435 |
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誠実な浮気者—イエメンにおけるカート市場の事例から | 大坪 玲子 | 157 |
空間をつくりあげる身体—フランスに暮らす移動生活者マヌーシュのキャラヴァン居住と身構えに関する考察 | 左地(野呂) 亮子 | 177 |
<特集>アイデンティティと帰属をめぐるアポリア—理論・継承・歴史 |
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序 | 太田 好信 | 198 |
論文 | ||
ディアスポラの信仰者—在日アフマディーヤ・ムスリムにみるグローバル状況下のアイデンティティ |
嶺崎 寛子 | 204 |
アーカイヴへの不満—アフリカ系アメリカ人ムスリムにおけるアイデンティティをめぐる闘争 |
中村 寛 | 225 |
アイデンティティ論の歴史化—批判人類学の視点から | 太田 好信 | 245 |
研究ノート |
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北部準州アボリジニ社会における「先住民」「非先住民」関係の構図—「問題飲酒」に関する人類学的研究の展開 | 平野 智佳子 | 265 |
資料と通信 |
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国際人類学民族科学連合中間会議2012報告 | 飯島 秀治他 | 287 |
書評 | ||
呉燕和著(日野みどり訳)『ふるさと・フィールド・列車—台湾人類学者の半生記』 | 沼崎 一郎 | 284 |
高倉浩樹著『極北の牧畜民サハ—進化とミクロ適応をめぐるシベリア民族誌』 | 辛嶋 博善 | 287 |
河合利光編著『家族と生命継承—文化人類学的研究の現在』 | 後藤 晴子 | 290 |
風間計博・中野麻衣子・山口裕子・吉田匡興編『共在の論理と倫理—家族・民・まなざしの人類学』 | 白川 千尋 | 293 |
島村一平著『増殖するシャーマン—モンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ』 | サイジラホ | 296 |
<第7回日本文化人類学会賞受賞記念論文> | ||
現代世界における人類学的実践の困難と可能性 | 松田 素二 | 1 |
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無文字社会における「歴史」の構造—エチオピア南部ボラナにおける口頭年代史を事例として | 大場 千景 | 26 |
<特集>災害と人類学—東日本大震災にいかに向き合うか |
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序 | 林 勲男・川口 幸大 | 50 |
論文 |
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津波災害復興における社会秩序の再編—ある高所移転を事例に |
木村 周平 | 57 |
「放射能が手に届いた気がしたんだ」—原子力災害における<リアリティ>の構成をめぐる人類学的考察 |
猪瀬 浩平 | 81 |
研究ノート |
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東日本大震災の公共人類学事始—宮城県三陸地方における被災地支援の現場から | 内尾 太一 | 99 |
東日本大震災に関連したフィールドワークを行うこと/それを指導すること—「文化人類学実習」の授業を事例に | 川口 幸大・関 美菜子・内藤 照手 | 111 |
書評 | ||
米山知子『回るアレヴィ—トルコの都市における場とパフォーマンスの人類学』 | 石川 真作 | 127 |
鍋倉聰『シンガポール「多人種主義」の社会学—団地SH会のエスニシティ』 | 植村 清加 | 130 |
諏訪淳一郎『パフォーマンスの音楽人類学』 | 野澤 豊一 | 134 |
奥野克己・山口未花子・近藤祉秋編『人と動物の人類学』 | 古澤 拓郎 | 137 |
合田博子『宮座と当屋の環境人類学—祭祀組織が担う公共性の論理』 | 金 明美 | 141 |
西尾哲夫・堀内正樹・水野信男編『アラブの音文化—グローバル・コミュニケーションへのいざない』 | 川田 順造 | 144 |
論文 | ||
生−権力の臨界—アメリカの大学警察を人類学する | 井上 雅道 | 499 |
「手当て」としての身体診察—総合診療・家庭医療における医師−患者関係 | 飯田 淳子 | 523 |
芸術のエコロジーにむけて—デンマークの障害者美術学校における絵画制作活動を事例に | 中谷 和人 | 544 |
人権のグローバル化と先住民—ペルーにおける紛争、真実委員会、平和構築 | 細谷 広美 | 566 |
研究ノート | ||
ケアの再構成を通した韓国の家族再考—既婚女性の乳がん患者の事例 | 澤野 美智子 | 588 |
書評 | ||
與那覇潤著『中国化する日本—日中「文明の衝突」一千年史』 | 小熊 誠 | 601 |
石田慎一郎編『オルタナティブ・ジャスティス—新しい<法と社会>への批判的考察』 | 森 正美 | 604 |
作道信介著『糞肛門—ケニア・トゥルカナの社会変動と病気』 | 田所 聖志 | 607 |
常田夕美子著『ポストコロニアルを生きる—現代インド女性の行為主体性』 | 杉本 星子 | 611 |
安井眞奈美著『出産・育児の近代—「奈良県風俗誌」を読む』 | 山口 睦 | 613 |
宮沢千尋編『社会変動と宗教の<再選択>—ポスト・コロニアル期の人類学的研究』 | 中西 裕二 | 617 |
論文 | ||
ウズベキスタン東部地方都市における聖者崇敬の現在—ムスリム陶工のピール崇敬 | 菊田 悠 | 361 |
<特集>界面に立つ専門家—医療専門家のサファリングの人類学 | ||
序 | 浮ケ谷 幸代 | 382 |
論文 | ||
医療専門家のサファリングとその創造性—患者、利用者、依頼人との距離感という困難を越えて | 浮ケ谷 幸代 | 393 |
医師の役割と苦悩の創出—現代日本総合医の事例から | 山上 実紀 | 414 |
「ご遺体」は最初の患者である—日本の医学教育における肉眼解剖実習の今日的意義 | 星野 晋 | 435 |
研究ノート | ||
文化をのりこなす—インド南部バンガロールにおけるITワーカーの人類学的分析をめぐる試論 | 久保 明教 | 456 |
書評 | ||
長谷有紀・川口幸大・長沼さやか編『中国における社会主義的近代化—宗教・消費・エスニシティ』 | 尾崎 隆宏 | 469 |
金子守恵著『土器つくりの民族誌—エチオピア女性職人の地縁技術』 | 中村 真里絵 | 472 |
佐藤洋一郎監修、原田信男・鞍田崇編『焼畑の環境学—いま焼畑とは』 | 吉松 久美子 | 475 |
小川さやか著『都市を生き抜くための狡知—タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』 | 関根 康正 | 478 |
東賢太朗著『リアリティと他者性の人類学—現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』 | 石井 美保 | 484 |
白川千尋・川田牧人編『呪術の人類学』 | 岡本 圭史 | 488 |
論文 | ||
名の示すもの—ヴァヌアツ・アネイチュム社会における歴史・土地・個人名 | 福井 栄二郎 | 203 |
<特集>社会的排除/包摂の人類学 | ||
序—社会的排除/包摂の人類学 | 内藤 直樹 | 230 |
論文 | ||
「統治の場」から「生きる場」へ—ボツワナにおけるサンと「先住民」運動 | 丸山 淳子 | 250 |
社会的排除とのつきあい方—日本の児童養護施設における臨床心理学と文化人類学の連携 | 飯嶋 秀治 | 273 |
研究ノート | ||
在日ラオス系定住者の相互扶助の展開過程 | 岩佐 光広 | 294 | 病院を出た精神障害者たちをめぐる社会的包摂 —北海道浦河べてるの家における幻覚妄想体験への対処の事例から | 間宮 郁子 | 306 |
書評 | ||
藤原潤子著 『呪われたナターシャ—現代ロシアにおける呪術の民族誌』 | 梅屋 潔 | 319 |
寺嶋秀明著 『平等論—霊長類と人における社会と平等性の進化』 | 内堀 基光 | 322 |
孫暁剛著 『遊牧と定住の人類学—ケニア・レンディーレ社会の持続と変容』 | 曽我 亨 | 325 |
飯國有佳子著 『現代ビルマにおける宗教的実践とジェンダー』 | 藏本 龍介 | 327 |
植野弘子・三尾裕子編 『台湾における<植民地>経験—日本認識の生成・変容・断絶』 | 松岡 格 | 331 |
高谷紀夫・沼崎一郎編 『つながりの文化人類学』 | 小池 誠 | 334 |
論文 | ||
ジャーナリストと生活戦略—民主化以降ベナンにおける人とメディアの関わり | 田中 正隆 | 1 |
<特集>技術を語る民族誌の新たな地平 | ||
序—技術をモノ語る苦難と悦楽 | 大西 秀之 | 27 |
論文 | ||
技術人類学の画期としての1993年—フランス技術人類学のシェーン・オペラトワール論再考 | 後藤 明 | 41 |
「交渉」する手指—エチオピア西南部女性土器職人による身体を介した環境との関わり | 金子 守恵 | 60 |
動作の連鎖・社会的プロセスとしての漁撈技術—ボルネオ島サマによる漁撈活動を中心に | 小野 林太郎 | 84 | 技術のオントロギー—イヌイトの技術複合システムを通してみる自然=文化人類学の可能性 | 大村 敬一 | 105 |
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モンゴル遊牧民の食料摂取における乳・乳製品と肉・内臓の相互補完性—ドンドゴビ県のモンゴル遊牧民世帯Tの事例を通じて | 平田 昌弘 | 128 |
ネパールのプロテスタントの「信仰」における「信頼」と「行為」 —カトマンドゥ盆地ラリトプル郡で観察されたプロテスタントの「信仰」 | 丹羽 充 |
144 |
集団から個へ—ジャマイカ、エチオピア・アフリカ黒人国際会議派ラスタファリアンの経済活動の変化について | 神本 秀爾 | 156 |
資料と通信 | ||
日本文化人類学会次世代育成セミナー報告 | 文化人類学教育特別委員会次世代育成セミナー実施運営委員会 | 170 |
書評 | ||
新井一寛・岩谷彩子・葛西賢太編 『映像にやどる宗教、宗教をうつす映像』 | 原 知章 | 173 |
山路勝彦著 『台湾タイヤル族の100年—漂流する伝統、蛇行する近代、脱植民地化への道のり』 | 宮岡 真央子 | 176 |
佐川徹著 『暴力と歓待の民族誌—東アフリカ牧畜社会の戦争と平和』 | 飯嶋 秀治 | 180 |
春日直樹編 『現実批判の人類学—新世代のエスノグラフィへ』 | 上村 淳志 | 183 |
小林知著 『カンボジア村落世界の再生』 | 加藤 敦典 | 187 |
平井京之助著 『村から工場へ—東南アジア女性の近代化経験』 | 成定 洋子 | 189 |
<第6回日本文化人類学会賞受賞記念論文> | ||
日本の文化人類学的研究における課題と展望—個人の研究史をとおして | 波平 恵美子 | 375 |
<特集>自然と社会の民族誌—動物と人間の連続性 | ||
序 | 奥野 克巳 | 391 |
論文 | ||
Part of the Animal —カナダ先住民カスカと動物との関係の諸相 | 山口 未花子 | 398 |
名前と存在—ボルネオ島・プナンにおける人、神霊、動物の連続性 | 奥野 克巳 | 417 |
家畜の個体性再考—河南蒙旗におけるツェタル実践 | シンジルト | 439 |
研究ノート | ||
「おっちゃん、それは化け猫に化かされとっだわ」—隠岐島の猫にまつわる語りから見る人間と動物の連続性 | 近藤 祉秋 | 463 |
「自然」の二重性—神経科学の実験室における動物と研究者 | 池田 光穂 | 475 |
研究ノート | ||
対人関係からみた子どもと場所—カンボジア・スラム再定住地区のみちにおける事例から | 西田 季里 | 486 |
書評 | ||
木村大治著『括弧の意味論』 | 久保 明教 | 497 |
私市正年・寺田勇文・赤堀雅幸共編『グローバル化のなかの宗教—衰退・再生・変貌』(地域立脚型グローバル・スタディーズ叢書) | 生田 篤 | 500 |
山口裕子著『歴史語りの人類学—複数の過去を生きるインドネシア東部の小地域社会』 | 永渕 康之 | 504 |
栗田和明著『アジアで出会ったアフリカ人—タンザニア人交易人の移動とコミュニティ』 | 小川 さやか | 507 |
高倉浩樹・曽我亨著『シベリアとアフリカの遊牧民—極北と砂漠で家畜とともに暮らす』 | 湖中 真哉 | 510 |
論文 | ||
戦時下の贈与—近代日本社会における国民的贈与の創出 | 山口 睦 | 237 |
<特集>身体のハイブリッド | ||
序 身体のハイブリッド | 山崎 吾郎 | 257 |
論文 | ||
疫学的な他者と生きる身体 —エチオピアのグラゲ社会におけるHIV/AIDSの経験 | 西 真如 | 267 |
代謝を生きる—移動性をめぐる実験的考察 | モハーチ・ゲルゲイ | 288 |
臓器提供に現われる身体と人格—生経済における贈与論のために | 山崎 吾郎 | 308 |
研究ノート | ||
タイ北部におけるモンの豚飼養の特性とその変化に関する覚え書 | 中井 信介 | 330 |
資料と通信 | ||
第2回若手懇談会・震災について語る会—日本文化人類学会の第45回研究大会若手懇談会報告 | 比嘉 理麻・梶丸 岳・難波 美芸・永田 貴聖 | 343 |
書評 | ||
石森大知著『生ける神の創造力—ソロモン諸島クリスチャン・フェローシップ教会の民族誌』 | 関根 久雄 | 347 |
林行夫編著『<境域>の実践宗教—大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』 | 長谷 千代子 | 350 |
韓敏編『革命の実践と表象—現代中国への人類学的アプローチ』 | 奈倉 京子 | 353 |
池田光穂著『看護人類学入門』 | 大谷 かがり | 356 |
中川敏著『言語ゲームが世界を創る—人類学と科学』 | 寺戸 宏嗣 | 360 |
津田浩司著『「華人性」の民族誌—体制転換期インドネシアの地方都市のフィールドから』 | 芹澤 知広 | 363 |
論文 | ||
ローカル・コモンズにおける地域住民の「主体性」の所在—実践コミュニティの生成と権力関係について | 藤田 渡 | 125 |
トルコにおけるアレヴィーの人々の社会変化—宗教的権威と社会範疇に関する人類学的考察 | 若松 大樹 | 146 |
研究ノート | ||
「現代美術」の人類学的研究に関する一考察—インスタレーション・アートの現場から | 登 久希子 | 171 |
モンゴル高原中央部における家畜群のコントロール—家畜群を近くに留める技法 | 平田 昌弘 | 182 |
書評 | ||
西澤治彦著『中国食事文化の研究—食をめぐる家族と社会の歴史人類学』 | 田村 和彦 | 196 |
波平恵美子・小田博志著『質的研究の方法 いのちの<現場>を読みとく』 | 道信 良子 | 199 |
永田貴聖著『トランスナショナル・フィリピン人の民族誌』 | 関 恒樹 | 201 |
長坂格著『国境を越えるフィリピン村人の民族誌—トランスナショナリズムの人類学』 | 細田 尚美 | 205 |
楊海英著『墓標なき草原—内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上)(下) | 松井 健 | 208 |
青柳まちこ著『国籍調査から考える人種・民族・国籍—オバマはなぜ「黒人」大統領と呼ばれるのか』 | 陳 天璽 | 212 |
第6回日本文化人類学会賞の授賞 | 216 | |
第6回日本文化人類学会奨励賞の授賞 | 217 |
<特集>動くアッサンブラージュを人類学する | ||
序—動くアッサンブラージュを人類学する | 内山田 康 | 1 |
論文 | ||
仮の面と仮の胴—バリ島仮面舞踊劇にみる人とモノのアッサンブラージュ | 吉田 ゆか子 | 11 |
モノと潜在性—タルド的視点に基づく機械の民族誌の試み | 森田 敦郎 | 33 |
チェッラッタンマンは誰か?—関係的神性、本質的神性、変態する存在者 | 内山田 康 | 53 |
研究ノート | ||
人間とモノの協働行為としての農の仕事—南インド、ケーララ農村における有機農業の事例を通して | 秋山 晶子 | 77 |
資料と通信 | ||
東日本大震災によせて | 市野澤 潤平/木村 周平/清水 展/林 勲男 | 89 |
書評 | ||
河辺俊雄著 『熱帯林の人類生態学—ギデラの暮らし・伝統文化・自然環境』 | 木村 大治 | 94 |
渡辺和之著『羊飼いの民族誌—ネパール移牧社会の資源利用と社会関係』 | 稲村 哲也 | 97 |
風戸真理著『現代モンゴル遊牧民の民族誌—ポスト社会主義を生きる』 | 尾崎 孝宏 | 101 |
飯島典子著『近代客家社会の形成—「自称」と「他称」のはざまで』 | 小林 宏至 | 104 |
石坂晋哉著『現代インドの環境思想と環境運動—ガーンディー主義と<つながりの政治>』 | 中空 萌 | 107 |
Peter Metcalf "The Life of the Longhouse: An Archaeology of Ethnicity" | 長谷川 悟郎 | 111 |
池谷和信編著『地球環境史からの問い—ヒトと自然の共生とは何か』 | 石川 登 | 114 |
論文 | ||
「労働者」という希望—ネパール・カトマンズの家事労働従事者の現在 | 佐藤 斉華 | 459 |
「超自然的強制」が支える森林資源管理—インドネシア東部セラム島山地民の事例より | 笹岡 正俊 | 483 |
<特集>親子のつながり—人類学における親族/家族研究再考 | ||
序 親子から生のつながりを問い直す | 速水 洋子 | 515 |
論文 | ||
父系社会を生きる娘—台湾漢民族社会における家庭生活とその変化をめぐって | 植野 弘子 | 526 |
転身の物語り—サン研究における「家族」再訪 | 高田 明 | 551 |
親子関係の複数性という視点からの親族研究再考—イタリアの事例とともに | 宇田川 妙子 | 574 |
研究ノート | ||
老親扶養からみたラオス低地農村部における親子関係の一考察 | 岩佐 光広 | 602 |
書評 | ||
金明美著『サッカーからみる日韓のナショナリティとローカリティ』 | 真鍋 祐子 | 614 |
嶋陸奥彦著『韓国社会の歴史人類学』 | 本田 洋 | 617 |
谷泰著『牧夫の誕生—羊・山羊の家畜化の開始とその展開』 | 波佐間 逸博 | 621 |
福島真人著『学習の生態学—リスク・実験・高信頼性』 | 関谷 雄一 | 624 |
松田素二著『日常人類学宣言!—生活世界の深層へ/から』 | 小田 亮 | 628 |
亀井伸孝著『森の小さな<ハンター>たち—狩猟採集民の子どもの民族誌』 | 高田 明 | 631 |
<第5回日本文化人類学会賞受賞記念論文> | ||
2050年の日本─フィリピーナの夢をめぐる人類学的想像力 | 山下 晋司 | 327 |
論文 | ||
アフリカにおける牧畜民・農耕民紛争—エチオピア西南部の事例分析 | 藤本 武 | 347 |
医療費の支払における相互扶助—ガーナ南部における健康保険の受容をめぐって | 浜田 明範 | 371 |
北アジアにおける乳加工体系の地域多様性分析と発達史論 | 平田 昌弘 | 395 |
対面相互行為を通じたトランスダンスの出現—米国黒人ペンテコステ派教会の事例から | 野澤 豊一 | 417 |
書評 | ||
西真如著『現代アフリカの公共性 エチオピア社会にみるコミュニティ・開発・政治実践』 | 小國 和子 | 440 |
今村薫著『砂漠に生きる女たち—カラハリ狩猟採集民の日常と儀礼』 | ||
丸山淳子著『変化を生きぬくブッシュマン—開発政策と先住民運動のはざまで』 | 内堀 基光 | 443 |
窪田幸子、野林厚志編『「先住民」とはだれか』 | 清水 昭俊 | 446 |
じんるいがくフェスティバル—2010年度第二回東北地区研究懇談会報告 | 高倉 浩樹 | 452 |
<特集>都市に(が)居座ること | ||
序 都市に(が)居座ること—都市の人類学に向けて | 木村 周平 | 181 |
論文 | ||
都市のテクノロジー—モンゴル、ウランバートル市の都市化とコンパクトシティ計画 | 西垣 有 | 192 |
居座る集落、腰かける人々—マレーシアの都市集落の事例より | 上田 達 | 216 |
伸縮するバスインターチェンジ—ベトナム・ハノイでの或る都市開発事業を巡る行政機構と技術論争 | 寺戸 宏嗣 | 238 |
イスタンブル、耐震都市再開発プロジェクトの時間性——都市変容の人類学に向けて | 木村 周平 | 261 |
書評 | ||
田辺明生著『カーストと平等性—インド社会の歴史人類学』 | 石井 溥 | 284 |
石川登著『境界の社会史——国家が所有を宣言するとき』 | 永渕 康之 | 287 |
宮崎広和著・訳『希望という方法』 | 名和 克郎 | 291 |
速水洋子著『差異とつながりの民族誌—北タイ山地カレン社会の民族とジェンダー』 | 吉松 久美子 | 294 |
松村圭一郎著『所有と分配の人類学—エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学』 | 北西 功一 | 296 |
河合香吏編著『集団—人類社会の進化』 | 青木 恵理子 | 300 |
会長就任にあたって | 渡邊 欣雄 | 304 |
第5回日本文化人類学会賞の授賞 | 306 | |
第5回日本文化人類学会奨励賞の授賞 | 307 |
論文 | ||
神霊との交換—南インドのブータ祭祀における慣習的制度、近代法、社会的エイジェンシー | 石井 美保 | 1 |
「明日の私」を葬る—エチオピアの葬儀講仲間がつくりだす応答的な関係性 | 西 真如 | 27 |
<特集>「グローバリゼーション」を越えて | ||
序—「グローバリゼーション」を人類学的に乗り越えるために | 湖中 真哉 | 48 |
論文 | ||
ブリコラージュ実践の共同体—マダガスカル、ヴェズ漁村におけるグローバルなフローの流用 | 飯田 卓 | 60 |
「深い」多元性と文化相対主義 | 川田 牧人 | 81 |
自然=文化相対主義に向けて—イヌイトの先住民運動からみるグローバリゼーションの未来 | 大村 敬一 | 101 |
プライマリー・グローバリゼーション—もうひとつのグローバリゼーションに関する人類学的試論 | 床呂 郁哉 | 120 |
コメント | ||
コメント1 | 竹沢 尚一郎 | 138 |
コメント2—「単体主義」の可能性 | 高倉 浩樹 | 142 |
研究ノート | ||
難民の人類学的研究にむけて—難民キャンプの事例を用いて | 久保 忠行 | 146 |
書評 | ||
織田竜也・深田淳太郎共編『経済からの脱出』(シリーズ 来たるべき人類学②) | 梅屋 潔 | 160 |
田中二郎著『ブッシュマン、永遠に。変容を迫られるアフリカの狩猟採集民』 | 曽我 亨 | 163 |
橘健一著『<他者/自己>表象の民族誌——ネパール先住民チェパンのミクロ存在論』 | 山本 達也 | 164 |
片岡樹著『タイ山地一神教徒の民族誌−キリスト教徒ラフの国家・民族・文化』 | 馬場 雄司 | 168 |
<特集>人類史の空間論的再構築—移動、出会い、コンフリクト | ||
序—人類史再構築の必要性 | 今村 薫 | 513 |
論文 | ||
人類史の分かれ目—旧人ネアンデルタールと新人サピエンスの交替劇 | 赤澤 威 | 517 |
人類の進化と北方適応 | 煎本 孝 | 541 |
人類の生活環境としてのアフリカ熱帯雨林—歴史生態学的視点から | 市川 光雄 | 566 |
アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明の4類型—乾燥地地域の人類文明史的考察 | 嶋田 義仁 | 585 |
書評 | ||
内堀基光編『資源と人間』(資源人類学第1巻) | 田辺 繁治 | 613 |
岸上伸啓著『カナダ・イヌイットの食文化と社会変化』 | 大村 敬一 | 616 |
石塚道子・田沼幸子・冨山一郎編『ポスト・ユートピアの人類学』 | 織田 竜也 | 619 |
山田孝子著『ラダック—西チベットにおける病いと治療の民族誌』 | 宮坂 清 | 622 |
末成道男編『ベトナム文化人類学文献解題—日本からの視点』 | 谷口 裕久 | 625 |
<第4回日本文化人類学会賞受賞記念論文> | ||
マクロとミクロに引き裂かれてあるものとしての(私の)民族学/人類学 | 内堀 基光 | 373 |
論文 | ||
トランスナショナルな社会空間における差異と共同性—フィリピン人ミドルクラス・アイデンティティに関する考察 | 関 恒樹 | 390 |
<特集>メタモルフォーシスの人類学 | ||
序—メタモルフォーシスの人類学 | 石井 美保 | 414 |
論文 | ||
「回復」を希求する—インド農村社会における不妊と「流産」の経験 | 松尾 瑞穂 | 423 |
語りえない夢のゆくえと自己変容—インドの移動民社会を事例として | 岩谷 彩子 | 441 |
不確かな他者として振舞う技法—コモロにおける精霊憑依と自己変容 | 花渕 馨也 | 459 |
研究ノート | ||
老いを歩む—フィンランドの年金生活者達の合宿にみる身体変容への展望 | 高橋 絵里香 | 478 |
書評 | ||
松井健編『自然の資源化』(資源人類学第6巻) | 佐藤 靖明 | 489 |
菅原和孝編『身体資源の共有』(資源人類学第9巻) | 高橋 絵里香 | 492 |
岩谷彩子著『夢とミメーシスの人類学—インドを生き抜く商業移動民ヴァギリ』 | 箭内 匡 | 496 |
岡恵介著『視えざる森の暮らし—北上山地・村の民俗生態史』 | 池谷 和信 | 498 |
大塚和夫氏追悼 | 502 |
論文 | ||
「アール・ブリュット/アウトサイダー・アート」をこえて—現代日本における障害のある人びとの芸術活動から | 中谷 和人 | 215 |
ハイブリッド(複合)文化としての北米先住民族の条約—イロクォイ連合国とカナダ平原地帯諸民族の事例からのアプローチ | 松井 健一 | 238 |
<特集>ネオリベラリズムの時代と人類学的営為 | ||
序—現代世界における人類学の課題 | 松田 素二 | 262 |
論文 | ||
「二重社会」という視点とネオリベラリズム—生存のための日常的実践 | 小田 亮 | 272 |
批判と連帯—日韓間の歴史対話に関する省察 | 板垣 竜太 | 293 |
ネオリベラルな現在(いま)において人類学のできること | 青木 恵理子 | 316 |
書評 | ||
山下晋司編『資源化する文化』(資源人類学第2巻) | 市野澤 潤平 | 338 |
小川了編『躍動する小生産物』(資源人類学第4巻) | 金子 守恵 | 341 |
印東道子編『生態資源と象徴化』(資源人類学第7巻) | 小野 林太郎 | 343 |
椎野若菜著『結婚と死をめぐる女の民族誌—ケニア・ルオ社会の寡婦が男を選ぶとき』 | 速水 洋子 | 347 |
松本尚之著『アフリカの王を生み出す人々—ポスト植民地時代の「首長位の復活」と非集権制社会』 | 溝口 大助 | 350 |
第4回日本文化人類学会賞の授賞 | 354 | |
第4回日本文化人類学会奨励賞の授賞 | 355 |
論文 | ||
開かれゆくアンデス牧民社会—ペルー南部高地ワイリャワイリャ村を事例として | 鳥塚 あゆち | 1 |
アイデンティティ・ポリティクスとしてのツーリズム—中国東北部における韓国のパッケージ・ツアーの事例から | 真鍋 祐子 | 26 |
トルコの定期市における売り手−買い手関係—顧客関係の固定化をめぐって | 田村 うらら | 48 |
研究ノート | ||
「所有の主体」生成のプロセスをめぐる人類学的試論—権利から関係性へ | 中空 萌 | 73 |
<特集>多文化共生と文化人類学 | ||
序—多文化共生の現状と課題 | 竹沢 泰子 | 86 |
論文 | ||
多文化教育のカリキュラム開発と文化人類学—学校における多文化共生の実践にむけて | 森茂 岳雄 | 96 |
関東郊外からムスリムとしての居場所を築く—パキスタン人男性と日本人女性の国際結婚の事例から | 工藤 正子 | 116 |
「多文化共生」を内破する実践─東京都新宿区・大久保地区の「共住懇」の事例より | 原 知章 | 136 |
研究ノート | ||
中華学校に通う日本の子どもたち | 陳 天璽 | 156 |
多文化共生の実践に向けて—「在日コリアン」の子供の「民族」意識形成過程に関する事例分析の再考を中心に | 金 明美 | 176 |
書評 | ||
クリスチャン・ダニエルス編『知識資源の陰と陽』(資源人類学第3巻) | 田所 聖志 | 190 |
春日直樹編『貨幣と資源』(資源人類学第5巻) | 深田 淳太郎 | 193 |
秋道智彌編『資源とコモンズ』(資源人類学第8巻) | 葉山 茂 | 197 |
論文 | ||
グリーン・ネオリベラリズムとエイジェンシーの共同体—フィリピンの海域資源管理の事例から | 関 恒樹 | 477 |
<特集>アカウンタビリティ | ||
序—「アカウンタビリティ」と目に見える世界の探求 | 森田 敦郎 | 499 |
論文 | ||
<関係>を可視化する—エチオピア農村社会における共同性のリアリティ | 松村 圭一郎 | 510 |
つながる実践と区切り出される意味—パプアニューギニア、トーライ社会の葬式における貝貨の使い方 | 深田 淳太郎 | 535 |
デザイン、能力、ヒエラルキー—タイ土着の機械技術における人とモノの目に見える秩序 | 森田 敦郎 | 560 |
不確実性のゆくえ—フランスにおける連帯経済の事例を通して | 中川 理 | 586 |
書評 | ||
田辺繁治著『ケアのコミュニティ—北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』 | 谷 泰 | 610 |
阿部年晴・小田亮・近藤英俊編『呪術化するモダニティ—現代アフリカの宗教的実践から』 | 石井 美保 | 613 |
スザンナ・M・ホフマン、アンソニー・オリヴァー=スミス編/若林佳史訳『災害の人類学—カタストロフィと文化』 | 木村 周平 | 617 |
飯田卓著『海を生きる技術と知識の民族誌—マダガスカル漁撈社会の生態人類学』 | 卯田 宗平 | 620 |
費孝通編著/西澤治彦、塚田誠之、曽士才、菊池秀明、吉開将人共訳『中華民族の多元一体構造』 | 上水流 久彦 | 624 |
<学会賞受賞記念論文> | ||
コミュニティを想像する—人類学的省察 | 田辺 繁治 | 289 |
論文 | ||
「女は行かなければならない」—婚姻規範への(不)服従、ネパール・ヨルモ女性の語りから | 佐藤 斉華 | 309 |
「トリプル・アウトサイダー」を生きる—横須賀米海軍男性と結婚した日本人妻たちの民族誌 | 宮西 香穂里 | 332 |
<特集>先住民と〈国民の歴史〉 | ||
先住民と〈国民の歴史〉のための序論 | 清水 昭俊 | 354 |
論文 | ||
先住民の権利と国家および国民の条件 | 清水 昭俊 | 363 |
<土地の人>と<条約の人>—ニュージーランド「国民」形成におけるワイタンギ条約の意義 | 内藤 暁子 | 380 |
「オーストラリアの長い沈黙」ののち—歴史とアボリジニのエイジェンシー | 窪田 幸子 | 400 |
ジェノサイドへの序曲—内モンゴルと中国文化大革命 | 楊 海英 | 419 |
書評 | ||
竹沢尚一郎著『人類学的思考の歴史』 | 太田 好信 | 454 |
阿久津昌三著『アフリカの王権と祭祀—統治と権力の民族学』 | 佐久間 寛 | 457 |
鷹木恵子著『マイクロクレジットの文化人類学—中東・北アフリカにおける金融の民主化にむけて』 | 野元 美佐 | 460 |
宇田川妙子・中谷文美編『ジェンダー人類学を読む』 | 李 善姫 | 463 |
論文 | ||
自立のストラテジー—フィンランドの独居高齢者と在宅介護システムにみる個人・社会・福祉 | 高橋 絵里香 | 133 |
<特集>芸術と人類学 | ||
序—「芸術」辺りと人類学 | 古谷 嘉章 | 155 |
論文 | ||
芸術作品の仕事—ジェルの反美学的アブダクションと、デュシャンの分配されたパーソン | 内山田 康 | 158 |
イメージの人類学のための理論的素描—民族誌映像を通じての「科学」と「芸術」 | 箭内 匡 | 180 |
感性という領域への接近—ドイツ美学の問題提起から感性を扱う民族誌へ | 佐々木 重洋 | 200 |
土器の生涯—土器片・レプリカ・触知性 | 古谷 嘉章 | 221 |
研究ノート | ||
「信仰」の価値—聖地の遺産化と審美の基準をめぐる力学 | 門田 岳久 | 241 |
書評 | ||
阿部年晴・綾部真雄・新屋重彦編『辺縁のアジア—<ケガレ>が問いかけるもの』 | 関根 康正 | 254 |
河合香吏編『生きる場の人類学—土地と自然の認識・実践・表象過程』 | 田中 雅一 | 259 |
谷正人著『イラン音楽 声の文化と即興』 | 梶丸 岳 | 263 |
会長就任にあたって | 山本 真鳥 | 267 |
第3回日本文化人類学会賞の授賞・第3回日本文化人類学会奨励賞の授賞 | 269 | |
研究大会運営検討委員会からのお知らせ | 270 |
論文 | ||
生業環境の変化への二重の対応—中国・ポーヤン湖における鵜飼い漁師たちの事例から | 卯田 宗平 | 1 |
薬剤の流通をめぐるポリティクス—ガーナ南部における薬剤政策とケミカルセラー | 浜田 明範 | 25 |
ダラムサラで構築される「チベット文化」—チベット歌劇ラモと祭典ショトンをめぐる記述と言説の考察を通して | 山本 達也 | 49 |
差異を身につける—糖尿病薬の使用にみる人間と科学技術の相関性 | モハーチ・ゲルゲイ | 70 |
研究ノート | ||
世界遺産と文化保存のパラドックス—ラオスのユネスコ世界遺産、ルアンパバーンとワット・プーの事例から | 中田 友子 | 93 |
書評 | ||
Kazuyasu Ochiai (coordinador) "El mundo maya: Mirada japonesa" | 関 雄二 | 107 |
新江利彦著『ベトナムの少数民族定住政策史』 | 樫永 真佐夫 | 109 |
高橋孝代著『境界性の人類学—重層する沖永良部島民のアイデンティティ—』 | 菅沼 文乃 | 113 |
石井洋子著『開発フロンティアの民族誌—東アフリカ・灌漑計画のなかに生きる人びと』 | 竹村 和朗 | 115 |
湖中真哉著『牧畜二重経済の人類学〜ケニア・サンブルの民族誌的研究』 | 松田 凡 | 118 |
論文 | ||
ポスト・ユートピア時代のインドネシア国家とフローレス伝統村の変容 | 青木 恵理子 | 445 |
コスモスからピュシスへ—人類学的近代論の試み | 中川 敏 | 466 |
クレオール文化空間の脱植民地戦略—マルティニクにおける相反的な空間認識をめぐって | 石塚 道子 | 485 |
研究ノート | ||
ルガンヴィル—アメリカ軍の建設したメラネシアのキャンプ都市 | 吉岡 政徳 | 504 |
資料と通信 | ||
アフリカで人類学的研究の可能性をさぐる—国際共同シンポジウム「〈自己/他者〉に関わる諸問題の再文脈化:アフリカにおける人間学に向けて」 | 白石 壮一郎 | 519 |
書評 | ||
関根康正著『宗教紛争と差別の人類学—現代インドで<周辺>を<境界>に読み替える』 | 山上 亜紀 | 524 |
田中雅一・松田素二編『ミクロ人類学の実践—エイジェンシー/ネットワーク/身体』 | 名和 克郎 | 527 |
石井美保著『精霊たちのフロンティア—ガーナ南部の開拓移民社会における<超常現象>の民族誌』 | 東 賢太朗 | 530 |
銭丹霞著『中国江南農村の神・鬼・祖先—浙江省尼寺の人類学的研究』 | 川口 幸大 | 533 |
松山利夫著『ブラックフェラウェイ—オーストラリア先住民アボリジナルの選択』 | 内藤 暁子 | 537 |
論文 | ||
興奮を生み出し制御する—秋田県角館、曳山行事の存続のメカニズム | 小西 賢吾 | 303 |
兄弟の結合と家計戦術—近代沖縄における屋取の展開と世帯 | 玉城 毅 | 326 |
<特集>人類学的フィールドワークとは何か | ||
序論—人類学的フィールドワークの外延と展望 | 富沢 寿勇 | 345 |
論文 | ||
対話するフィールド、協働するフィールド—開発援助と人類学の「実践」スタイル | 関根 久雄 | 361 |
愚直なエスノグラフィー—著作権・無形文化遺産・ボランティア | 木村 秀雄 | 383 |
研究ノート | ||
NGOによるフィールドスタディの現場から—大衆化するフィールドワーク | 小長谷 有紀 | 402 |
資料と通信 | ||
社会調査士資格への日本文化人類学会の対応の経緯と展望 | 鏡味 治也 | 412 |
書評 | ||
菅原和孝編『フィールドワークへの挑戦—<実践>人類学入門』 | 芹澤 知広 | 417 |
原尻英樹著『フィールドワーク教育入門—コミュニケーション力の育成』 | 箕浦 康子 | 421 |
井上真編『躍動するフィールドワーク—研究と実践をつなぐ』 | 鈴木 紀 | 423 |
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科・京都大学東南アジア研究所編『京大式 フィールドワーク入門』 | 石井 洋子 | 425 |
杉島敬志・中村潔編『現代インドネシアの地方社会 ミクロロジーのアプローチ』 | 加藤 剛 | 427 |
印東道子編『環境と資源利用の人類学—西太平洋諸島の生活と文化』 | 口蔵 幸雄 | 432 |
高知尾仁著『表象のエチオピア−光の時代に−』 | 宮脇 幸生 | 435 |
論文 | ||
所有と分配の力学—エチオピア西南部・農村社会の事例から | 松村 圭一郎 | 141 |
書道界の制度と力学—現代日本の書道会と展覧会活動についての考察 | 大野 加奈子 | 165 |
<特集>大学−地域連携時代の文化人類学 | ||
序—at homeのフィールドから | 杉本 星子 | 188 |
論文 | ||
地域で学ぶ、地域でつなぐ—宇治市における文化人類学的活動と教育の実践 | 森 正美 | 201 |
祭礼調査からみる大学と地域、そして人類学の役割は?—明石市稲爪神社の秋祭り調査を事例に | 五十嵐 真子 | 221 |
人類学 "at home town" —地域社会への貢献をめぐる日本の人類学の諸問題 | 岡田 浩樹 | 241 |
資料と通信 | ||
漢人イトコ婚研究の覚書—横山廣子氏の書評に応える | 秦 兆雄 | 269 |
書評 | ||
矢野秀武著『現代タイにおける仏教運動—タンマガーイ式瞑想とタイ社会の変容』 | 福島 真人 | 274 |
山路勝彦著『近代日本の海外学術調査』(日本史リブレット64) | 宮岡 真央子 | 275 |
西井凉子・田辺繁治(編)『社会空間の人類学—マテリアリティ・主体・モダニティ』 | 佐藤 知久 | 278 |
青山和佳著『貧困の民族誌—フィリピン・ダバオ市のサマの生活』 | 床呂 郁哉 | 281 |
著作権についてのお知らせ | 286 | |
第2回日本文化人類学会奨励賞の授賞 | 288 |
論文 | ||
アダット(慣習)とクブダヤアン(文化)—インドネシア・ランプン州プビアン人社会における婚姻儀礼の事例を中心と して | 金子 正徳 | 1 |
作物資源の人類学—エチオピア西南部の少数民族における多様な作物の動態 | 藤本 武 | 21 |
略奪婚—ティモール南テトゥン社会における暴力と和解に関する一考察 | 辰巳 慎太郎 | 44 |
鍛冶職人から展望する社会—エチオピア西南部における鍛冶職人の生存戦略 | 村橋 勲 | 68 |
消え去りゆく嫁盗り婚の現在—ヒマラヤ山地民の言説実践における「近代」との交叉をめぐって | 佐藤 斉華 | 95 |
書評 | ||
中沢新一著『芸術人類学』 | 太田 好信 | 118 |
飯田淳子著『タイ・マッサージの民族誌—「タイ式医療」生成過程における身体と実践』 | 板垣 明美 | 120 |
伊藤幹治著『日本人の人類学的自画像—柳田国男と日本文化論再考』 | 山口 睦 | 124 |
劉正愛著『民族生成の歴史人類学—満州・旗人・満族』 | 西澤 治彦 | 128 |
論文 | ||
「ラフであること」の本質?—東南アジア大陸部山地民の民族帰属認知における柔軟性をめぐって | 片岡 樹 | 437 |
ポスト・ソビエト時代のウズベキスタンの「乞食」—都市下位文化におけるイスラームと共同性 | 和崎 聖日 | 458 |
<特集>科学技術の人類学 | ||
序—科学技術の人類学へ向けて | 宮武 公夫 | 483 |
論文 | ||
機械と社会集団の相互構成—タイにおける農業機械技術の発展と職業集団の形成 | 森田 敦郎 | 491 |
媒介としてのテクノロジー—エンターテインメント・ロボット「アイボ」の開発と受容の過程から | 久保 明教 | 518 |
地震学・実践・ネットワーク—トルコにおける地震観測の人類学的観察 | 木村 周平 | 540 |
書評 | ||
菅豊著『川は誰のものか 人と環境の民俗学』 | 岸上 伸啓 | 560 |
松井健著『柳宗悦と民藝の現在』(歴史文化ライブラリー 196) | 小川 了 | 563 |
Yamashita, Shinji, Joseph Bosco and J. S. Eades (eds.) "The Making of Anthropology in East and Southeast Asia" | 青木 恵理子 | 565 |
小池誠著『東インドネシアの家社会—スンバの親族と儀礼』 | 中川 敏 | 569 |
坂野徹著『帝国日本と人類学者 1884‐1952 年』 | 中生 勝美 | 572 |
宮脇幸生著『辺境の想像力—エチオピア国家支配に抗する少数民族ホール』 | 田川 玄 | 577 |
綾部恒雄監修、松井健、堀内正樹編『講座世界の先住民族—ファーストピープルの現在—04中東』 | 佐藤 紀子 | 580 |
言説が数億の女を殺す—内山田氏の書評に応える | 田中 雅一 | 582 |
新刊紹介 |
<学会賞受賞記念論文> | ||
文化人類学とはなにか | 川田 順造 | 311 |
論文 | ||
暗い未来に抗して—トルコ・イスタンブルにおける地震とコミュニティ | 木村 周平 | 347 |
植民地経験とチーフの土着化—非集権的なイボ社会の権威者をめぐって | 松本 尚之 | 368 |
研究ノート | ||
パプアニューギニア・トーライ社会における自生通貨と法定通貨の共存の様態 | 深田 淳太郎 | 391 |
書評 | ||
奥野克巳著『帝国医療と人類学』 | 浜田 明範 | 405 |
波平恵美子著『日本人の死のかたち—伝統儀礼から靖国まで』 | 藤山 正二郎 | 408 |
泰兆雄著『中国湖北農村の家族・宗族・婚姻』 | 横山 廣子 | 411 |
渋谷努著『国境を越える名誉と家族—フランス在住モロッコ移民をめぐる「多現場」民族誌—』 | 堀内 正樹 | 415 |
上杉富之編『現代生殖医療—社会科学からのアプローチ』 | 鈴木 七美 | 418 |
新刊紹介 |
論文 | ||
市場経済化と牧畜的消費様式—ケニア中北部・サンブルの世帯経済の事例 | 湖中 真哉 | 169 |
<特集>日本のネイティヴ人類学 | ||
序:ネイティヴ人類学の射程 | 山本 真鳥 | 196 |
論文 | ||
日本人-ネイティヴ-人類学徒—劣等感も選良意識も超えた自文化研究に向けて | 加藤 恵津子 | 202 |
“ネイティヴの人類学”のもう一つの可能性—黒田俊雄と神仏習合の人類学的理解から | 中西 裕二 | 221 |
日本人が英語で日本を語るとき—「民族誌の三者構造」における読者/聴衆について | 桑山 敬己 | 243 |
書評 | ||
花渕馨也著『精霊の子供—コモロ諸島における憑依の民族誌』 | 池田 光穂 | 266 |
窪田幸子著『アボリジニ社会のジェンダー人類学—先住民・女性・社会変化』 | 田中 雅一 | 269 |
田川泉著『公的記憶をめぐる博物館の政治性—アメリカ・ハートランドの民族誌』 | 海野 るみ | 273 |
竹沢泰子著『人種概念の普遍性を問う—西洋的パラダイムを越えて』 | 野林 厚志 | 276 |
青木恵理子著『生を織りなすポエティクス—インドネシア・フローレス島における詩的語りの人類学』 | 小池 誠 | 280 |
川野明正著『中国の〈憑きもの〉—華南地方の蠱毒と呪術的伝承』 | 志賀 市子 | 283 |
新刊紹介 | ||
会長就任にあたって | 須藤 健一 | 291 |
論文 | ||
親密な他者—フィリピン地方都市の呪医実践より | 東 賢太朗 | 1 |
<特集>中間集団の問題系 | ||
序—中間集団の問題系 | 真島 一郎 | 22 |
論文 | ||
中間集団論—社会的なるものの起点から回帰へ | 真島 一郎 | 24 |
統治的結社とイデオロギー—コートディヴォワールにおける差別的排除的実践に関する考察 | 佐藤 章 | 50 |
現代社会のアソシエーション的ユートピア—フランスとフィリピンにおける協同組合の社会的地位 | 三浦 敦 | 72 |
デモクラシーと生モラル政治—中間集団の現代的可能性に関する一考察 | 田辺 明生 | 94 |
研究ノート | ||
現代上座部仏教社会の「アラハン」—タイにおける聖人化のプロセス | 藏本 龍介 | 119 |
書評 | ||
多和田裕司著『マレー・イスラームの人類学』 | 信田 敏宏 | 134 |
吉田竹也著『バリ宗教と人類学—解釈学的認識の冒険』 | 池上 重弘 | 137 |
清水郁郎著『家屋とひとの民族誌—北タイ山地民アカと住まいの相互構築誌』 | 樫永 真佐夫 | 141 |
信田敏宏著『周縁を生きる人びと—オラン・アスリの開発とイスラーム化』(地域研究叢書15) | 長津 一史 | 144 |
菅原氏の書評への補足 | 川田 順造 | 147 |
新刊紹介 |
論文 | ||
「民族問題」の不在—あるいは「琉球処分」の歴史/人類学 | 與那覇 潤 | 451 |
<特集>表象・介入・実践—人類学者と現地とのかかわり | ||
序に代えて | 速水 洋子 | 473 |
論文 | ||
博物館の公開性をめぐる論理のアポリア—アボリジニの実践と調査者の関与 | 窪田 幸子 | 484 |
都市イヌイットのコミュニティー形成運動—人類学的実践の限界と可能性 | 岸上 伸啓 | 505 |
研究ノート | ||
フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴—西表島での経験から | 安渓 遊地 | 528 |
資料と通信 | ||
漁民レブーのラップ信仰—セネガル、ヨフの家族祭祀 | 盛 弘仁 | 543 |
書評 | ||
吉岡政徳著『反・ポストコロニアル人類学—ポストコロニアルを生きるメラネシア』 | 風間 計博 | 550 |
楊海英著『チンギス・ハーン祭祀—試みとしての歴史人類学的再構成』 | 原山 煌 | 555 |
野元美佐著『アフリカ都市の民族誌—カメルーンの「商人」バミレケのカネと故郷』 | 鈴木 裕之 | 558 |
奥野克巳著『「精霊の仕業」と「人の仕業」 —ボルネオ島カリス社会における災い解釈と対処法』 | 津上 誠 | 561 |
新刊紹介 |
論文 | ||
空白を埋める—普通学級就学運動における「障害」をめぐる生き方の生成 | 猪瀬 浩平 | 309 |
<特集>「介護」の人類学 | ||
特集の序文 | 藤田 真理子 | 327 |
論文 | ||
乳がん患者会のリーダーにおける人をケアすることの意味 | 八木 彌生 | 335 |
柿の葉を摘む暮らし—ノーマライゼーションを超えて | 鈴木 七美 | 355 |
バリアフリーからフリーバリアへ—近代日本を照射する視覚障害者たちの“見果てぬ夢” | 広瀬 浩二郎 | 379 |
研究ノート | ||
災害の人類学的研究に向けて | 木村 周平 | 399 |
書評 | ||
嶋田氏の書評に対して | 坂井 信三 | 410 |
保苅実著『ラディカル・オーラル・ヒストリー—オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』 | 飯嶋 秀治 | 415 |
秋道智彌著『コモンズの人類学—文化・歴史・生態』 | 菅 豊 | 418 |
川田順造著『人類学的認識論のために』 | 菅原 和孝 | 422 |
山路勝彦著『台湾の植民地統治—<無主の野蛮人>という言説の展開—』 | 植野 弘子 | 426 |
藤井麻湖著『モンゴル英雄叙事詩の構造研究』 | 荻原 眞子 | 429 |
浮ヶ谷幸代著『病気だけど病気ではない——糖尿病とともに生きる生活世界』 | 星野 晋 | 433 |
新刊紹介 |
論文 | ||
アーユルヴェーダは誰のものか—「伝統」医療・知的財産権・国家 | 加瀬澤 雅人 | 157 |
<特集>文化のリソースとしての身体 | ||
「身体資源」とは何か—特集への序 | 菅原 和孝 | 177 |
論文 | ||
民俗芸能の継承における身体資源の再配分—西浦田楽からの試論 | 菅原 和孝・藤田 隆則・細馬 宏道 | 182 |
身体技法への視角—モース「身体技法論」の再読と武術教室の事例研究を通して | 倉島 哲 | 206 |
現代化とシャマニズムの実践にみる身体—ラダッキとサハの事例より | 山田 孝子 | 226 |
差異の反復—カナダ・イヌイトの実践知にみる記憶と身体 | 大村 敬一 | 247 |
書評 | ||
寺嶋秀明編『平等と不平等をめぐる人類学的研究』 | 関根 康正 | 271 |
中田友子著『南ラオス村落社会の民族誌—民族混住状況下の「連帯」と闘争』 | 西本 陽一 | 276 |
姫野翠著『異界へのメッセンジャー』 | 中原 ゆかり | 279 |
王向華著『友情と私利—香港一日系スーパーの人類学的研究』 | 王 柳蘭 | 281 |
桑山敬己著 "Native Anthropology: The Japanese Challenge to Western Academic Hegemony" | 沼崎 一郎 | 285 |
新刊紹介 |
論文 | ||
野鍛冶の生存戦略—秋田県における現在の野鍛治の生存に向けた対応 | 齋藤 貴之 | 1 |
もの/語りとしての運命—ガーナの卜占アファにおける呪術的世界の構成 | 石井 美保 | 21 |
伝統文化の真正性と歴史認識—ヴァヌアツ・アネイチュム島におけるネテグと土地をめぐって | 福井 栄二郎 | 47 |
布のつくるヒンドゥーとムスリムの社会関係—インド、グジャラート州カッチ県のオダニー(被り布)の事例より | 金谷 美和 | 77 |
研究ノート | ||
いま、虫地蔵祭りをすること—水俣地蔵をとおした伝統の継続 | 小尾 章子 | 99 |
書評 | ||
速水洋子著 Between Hills and Plains: Power and Practice in Socio-Religious Dynamics among Karen | 関本 照夫 | 114 |
川橋範子・黒木雅子著『混在するめぐみ—ポストコロニアル時代の宗教とフェミニズム』 | 鷹木 恵子 | 116 |
渡辺靖著『アフター・アメリカ』 | 竹沢 泰子 | 119 |
富澤寿勇著『王権儀礼と国家—現代マレー社会における政治文化の範型』 | 宮崎 恒二 | 123 |
金子毅著『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』 | 山田 慎也 | 127 |
田中雅一著『供犠世界の変貌—南アジアの歴史人類学 』 | 内山田 康 | 129 |
伊藤正子著『エスニシティ<創生>と国民国家ベトナム—中越国境地域タイー族・ヌン族の近代』 | 長谷川 清 | 134 |
新刊紹介 | ||