2001年11月22日匿名希望
お手紙拝読しました。確かにトップ30に関する説明をみていて、文化人類学がぬけていることは気になっていました。また近年の科研における採択率の問題などを含めて、学会名称変更するということは必要な事態なのかもしれません。その他いろいろございますが、私としましては学会長による名称変更の提案を了承します。ただ学会名称変更にからんで、論じるべき一つに雑誌名の問題があると思います。私としては慣れ親しんだ「民族学研究」の名称はこのままにしておいた方がいいと思います。その上で新雑誌「文化人類学研究」のようなものを創設したらいいのではないかと思います。下記に記すこととも関係しますが、近年の人類学関係の書籍の多さを考慮すると、書評・評論中心の新しい雑誌があってもいいのかもしれません。逆に『民族学研究』(あるいは新雑誌を創るならそれも含めて)のなかに、論文書評のような枠を設けることを考えてもいいでしょう。
日本における「文化人類学の地盤沈下」ということに関連してもう一つ考えるべきことがあると思います。それは日本の読書人に対する文化人類学の存在アピールです。大規模書店にいっても、文化人類学コーナーは全くないか、あっても歴史学のとなりに小さいコーナーがあるだけです。例えば紀伊国屋書店(新宿本店)の場合、そのコーナーにあるのは少々古い理論的なものか、古典的な民族誌が中心です。民族学会会員が上梓したモノグラフは、海外事情コーナーのような場所に、ルポルタージュなどと混ざっておかれています。これは本屋の問題でもあるのですが、こうした分類は大学・市民図書館でも同様です。このような状態では、おそらく日本の読書人に対して文化人類学というジャンルの存在は希薄なものでしかないような気がしています。
近年、学会員を中心に民族誌および理論書が多くの書籍が出版されている状況であるにもかかわらず、そうした状況が本屋・図書館に反映されていない状況をみて歯がゆくなることがたびたびあります。この問題は、どのように解決していくべきかかなり困難な要素をもっていますが、波平会長の危惧観お手紙で読みまして、記す次第です。
政府の方針を無批判に受け入れる姿勢そのものにも疑問はあるが、それが「科学」というキーワードによる分野の序列化であるならば学問の自己否定につながる問題でもある。つまり 民族学が「科学」的であろうとした時代への単なる遡行であり、従来の科学的文脈とは異質な諸研究スタンスを下位化することになるからである。
もちろん民族学は人文科学でも社会科学でもあって行政的な「分科」はあくまでも便宜的なものにすぎない。この便宜性を実体化する思考を形式的アカデミズムと呼ぶ。『文化人類学という学問領域名が強く認知されたと考えられる』のが『会議』内や『連絡委員会』内の話で、そこに拘泥するのであれば尚更、重要なのは対外的な名称ではなく内部改革ではないだろうか。
『科学』的研究とは何か、『実学』的研究とは何か、更に『学問領域名』を決定し評価する基準とは?実はこれらの問いが曖昧なまま学問的慣習と流行のはざまで動いているのが今日の大学民俗なのである。学問イメージの政治性において『同等の扱いを受け得なかった』ことと同等の構図を自らが体現してこなかったと一体誰が断言できるであろうか。学徒の斬新な研究を学問イメージに囚われず常に評価できる力が指導教官にあるものだろうか。すなわち改名は対外的には民族学の行き詰まりを印象付けるものだが、それは自らの行き詰まり=パラダイムを後進学徒たちに演繹する構図そのものに対する無自覚と同等の安易さでもあり得るわけなのである。この黴臭い発想と体質こそが問題とされるべきものではないだろうか。それが解らなければ『10年後、20年後』にこうした科学信仰や推測による乱心振りと共に民族学の研究対象とされるのは我々なのだから、もっと注意深くあらねばならないことが他にあるわけだ。
名より実を、と述べた所以は「改名」が問題なのではなく「改名理由」が問題だということなのである。具体的な例としては、民族学における記述の問題で、或るフィールド体験を正碓に記述しようとすればどうしても文学的表現にならざるを得ないという事態に直面した学徒に対して「非科学的研究」の一言で済ませてしまう教官は問題ではないのだろうかという設定も考えられる。あるいはシャマニズム研究において、連日のインタビューにもどかしさを覚えたシャマンが、体験的にしか解らない、論理的考察によっては決して解らないことを伝えるために「知りたいなら修行をしてみないか」と勧誘するとき「私は学者として観察します」と返答してしまうような勘違いは問題ではないのだろうか。 あるいは芸術人類学研究において、芸術を科学的かつ実学的なカムフラージュを用いて語ることは問題ではないのだろうか。
フィールドに立つ者なら誰でも、一つの位相で語れば必ず矛盾が生じるような多位相的現実に対して戸惑いを覚えるものだ。でなければ何も観ていないのである。また、既になされているように、先行研究が批判され引用されている事実は『科学的』な「観察者」たち自身が民族(社会)学の研究対象でもあることを明らかにしているものである。つまり、状況論そのものの個人性を暴いているわけである。しかもこのような取り替え不可能な学者という個人と個別の共同体における個々人との関係によって齎された「情報」は深い必然性をもって「表現形式」を選ぶのである。逆に「表現形式」やイメージによって選択された「情報」というものはその「表現形式」がもつ性格に奉仕する予定調和な変質や淘汰を被らざるをえないものなのである。
このような二方向の塑型力を鑑みるとき、「改名」もまた内的必然性が重要なのではないか。
こうした多位相性と個人性を大前提に据えた『科学』としての民族学的視点(スタンス)が希薄な今回の改名提言は、果たして学問を活性化する発想なのか、単なる自己否定に終わるものなのか、疑問を禁じ得ないものである。
玉翰拝読致しました。現今のようにみな文化人類学が通用する時代になっていますから学会名の変更もやむをえないかとも思いますが、小生のように本学会の誕生以来の会員としては「民族学」という名称はなつかしく、捨てきれません。特に「文化人類」という称呼がアメリカ風なのには甚だしい嫌悪感をいだきます。ドイツなどでは今なおエトゥノロギーではないですか。小生としては学会名の変更には賛成致しかねます。
これまでの論議から、当然「文化人類学会」に名称変更になる予定と認識しておりました。したがって「文化人類学会」に変更することに何の異存はありません。
しかし、最近○○人類学という呼称がいささか恣意的に行われていて、(○○人類学という新しいサブフィールドが産声を上げるのに反対ではないのですが、それを名乗る場合には最低その学問的パラダイムを示して、そのサブフィールドのカバーする研究コンセプトが、既存の研究分野での研究コンセプトと重複しない独創的なものであることを認めさせる努力が必要だと思います)、ことによると「文化」という頭語が、分野を狭められる可能性があるかもという危惧の念はあります。日本語の熟語には発案した人とかその社会的な環境などが絡むので、なかなか字義通りに解釈できないことが多いのです。
したがって文化人類学会と名称変更する場合、その名称を名乗る学会が責任をもってカヴァーすべき学問的な領域を定義しておく必要があろうかと存じます。
この意見と一緒に、そのうちに「広い意味での文化人類学」とか、「狭い意味での文化人類学」というような発言(もうすでに使われているかも知れませんが)が出てくるように思います。その場合の狭いとか広いという言葉は恐らく発言者の恣意的な発想で発言されると思います。ところで、一体誰が「○○人類学」という造語をオーソライズしたんでしょう?
文化人類学者からみれば、日本文化人類学会に変更したい気持ちは理解できます。そんなに願望が強いのなら一層のこと、日本民族学会と別組織として「日本文化人類学会」を立ち上げてはいかがでしょうか?両方の組織に加入していたい人は日本民族学会にも残るでしょうし、文化人類学会でよいという人は民族学会を辞めて文化人類学会に引っ越しするでしょう。対立関係を望まない場合には、「日本文化人類学・民族学研究学会」という名称にすればよいのではないでしょうか?名称変更などつまらないことと言えば叱られるかもしれませんが内容の方が問題です。
グローバル化が進む一方で地方、民族の多様性を文化人類学、社会人類学の視点から分析研究することにより、21世紀の個性ある新しい社会の構築に貢献できればよいですね。
学会名称変更の件につき 以下に私個人の意見を手短かに申し上げます
1 個人的にはどちらの名称でも差し支えないのですが、「民族学会」という名称が適切でない、と判断される人々(会員)が多数を占める現状のようです。伝統と保守は違いますから、名称が変わったからといって直ちに伝統が失われることにはならないと思います。
2 私はこの学問と他の学問分野との同等性、競合性などをこれまでさほど意識してきませんでしたが、今後一般社会や後進に対してこの分野又は学会活動をを積極的にアピールしていく時に、「文化人類学」という名称の方がわかりやすいと思います。
以上、私としては「日本文化人類学会」への改称に賛成致します。
学会名称を「日本民族学会」から日本文化人類学会」へと変更することの是非についての、会長からのお手紙を頂きました。ありがとうございました。
前回は名称変更が出来なくて、大変残念に思いました。今回は必ず実現できるよう、会員として心から願っております。
学会名を「日本文化人類学会」と変更する件に関して、以下の理由で賛成いたします。
(1)今や世界に秘境や未発見の少数民族はなくなり、そのような未知の民族文化を研究する領域は、その保存と記録を残すことの重要性を否定はしませんが、少なくとも我々の学問領域の主たる研究テーマではなくなってきている。この点でも民族学よりも文化人類学の方が学問名のイメージとしてはより適切であろう。
(2)文化人類学にあって、民族学にはあまりないものは、「文化のトータリティー」の強調です。少なくとも、これまでの文化人類学では@研究方法としてのフィールドワーク手法の確立、Aエスノグラフィーやモノグラフィーの記述とともに、B文化のトータリティーを認識するビヘービォラル・サイエンスとしての性格があったと思われます。今後、この文化人類学の持つBの側面は、他の社会科学部門との複合的統合あるいは、相互批判的視点を確保するためにも重要となってくるものと思われます。
(3)21世紀に国際化、グローボル化がどんどん盛んになるにつれて、先進諸国でも発展途上諸国でも日常生活上における異文化接触、文化差の克服という問題が多々生じてきています。文化人類学はまさしくそのような今日的事象に関してもより積極的に調査研究を続けて必要があり、より一層プラグマテックな貢献をすることが期待されています。以上の三点の理由で、私は、日本文化人類学会と正式に名称を変更することを積極的に支持したいと思います。
数年前に投票して、僅差(1票差?)で民族学会の名称が残った記憶があります。
その際に、列記された理由のひとつに、民族学は従来どうりの大きな学問領域であるが、文化人類学となると専門領域が狭く限られる分野になってしまうというものがあり、ビックリした思いがあります。民族学(ethnology)とは、ドイツ語圏で独立の学問名として使用されているもので、日本の先達(岡正男・石田英一郎両教授)たちが戦前にオーストリアに留学して、日本に紹介したものです。それは、それでなにも不都合はないものです。
これに対して、イギリスは社会人類学、アメリカは文化人類学であることは衆知のごとくですが、アメリカにおいてEthnologyと言えば、私の経験からは、文化人類学と同じものという答えが帰ってきます。ただし、これは私に言わせれば間違いなのですが、ethnologyは、ethnographyに引っ張られて、少しフィールドワークとか、アプローチとして理解されるニュアンスをもって語られることがあります。テキストにもそう書いてあります。それは、文化人類学と差異化しなければならないための便宜上のことで、本来は間違いです。ethnographyはそれで良いですが、ethnologyをアプローチと言ったら、ドイツ語圏の研究者に叱られます。
もともとアメリカの文化人類学は、その基礎をFranz BoasやRobert H. Lowie等のドイツ語圏の研究者により東海岸と西海岸に広められ、A. R. Radcliffe=BrownやB. Malinowski等のイギリス人により中西部に広められたという歴史的事実はあります。そんな訳で、アメリカの文化人類学は、ゴチャマゼというきらいもあるのですが、1世紀以上の精力的な研究をとうして、それなりの理論の深化をすすめてきました。確かに、ドイツ語圏研究者は重厚長大だが理論が弱く、アメリカの研究者は軽薄短小だが理論に強い、という傾向はあります。しかし、基本的には、ドイツの民族学、アメリカの文化人類学、イギリスの社会人類学は同じものです。
そこで、同じものとして、日本の学会名を考える時、現在の若手研究者の傾向を鑑みるに、圧倒的にアメリカへの留学の方が、イギリスやドイツへの留学より多いということで、文化人類学という名称の方が、一般的ではないでしょうか。そして、これは、海外でも同じで、アジア、太平洋、中近東でも、Cultural Anthropologyの方が、SocialAnthropologyより、Ethnologyよりも一般的だと思います。
別に、主流に乗れとは言いませんが、より自然にと言えば、文化人類学と称した方が自然ではないでしょうか?
学会名改称「日本文化人類学会」とすることに賛成します。
もちろん日本民族学会という名称に大変愛着を感じておりますが、多少誤解を持つ人もあるで
しょうから、ご趣旨に賛成です。
今日は学会名称についての文を頂きました。この件について意見を記せとの由、若干の感想を送らせていただきます。
まず、この件はあの頃、議論されつくし、あの頃の人的要因と動向が「文化人類学」の採用を否定することとなったと判断しています。そのため、今またこの件となると、今いち元気が出ません。ふと考えてみると、私個人は次のような相反する気分です。
1.職能集団としての繁栄のために良いとのこと(お手紙に記してあります)でしたら、再び「文化人類学」を採用したら良いでしょう。現在、私は、私学で「文化人類学」のクラスを人間科学部と文学部の両方で持っています。クラスの内容はやや「文人+社会学」だと自ら判断しています。どこか大学当局で「文化人類学」という人の雇い方と授業科目が有るようです。一方、社会学は人間科学部で大人数です。私自身はできるだけ良いカリキュラムを作って、「文化人類学」のコマを落とさないよう努力しようとは思っています。とにかく、「民族学」の名は大学の何処にもありません。
2.国際舞台では民族学(ethnology)は私の場合さして障害ではありません。スペインもメキシコもantropologiaの方が格が上ですが、etnologiaでも通じます。そして、アメリカ合衆国ではcultural anthropology は既に古いので、ethnologyでも仕方なしという思いです。
3.さて、私は国立民族学博物館に長く居りました。この組織と学会の両方の繁栄のために、この博物館の独立法人化に伴ない起こるかもしれない名称変化を考慮してあげるのが良いと思うのです。別組織とは言え、創立時の関係は密接でしたし、両方の利益のために相互援助があるべきだと思うのです。人類学者の就職先としても無視できないのです。今思うに、民博は大学生の教育に役立ちます。小学生ではありません。
では、学会長、委員の方々の賢作を願う次第です。
前略 学会名称変更問題についてのご連絡を受け、一学会員としてご意見申し上げたくメールを出します。
結論から先に申し上げますと、名称変更に賛成です。その理由は、届いた通知の内容を読み、名称変更に妥当な根拠があるという点です。数年前にあった名称変更問題は、変更の根拠やその意見が出されたプロセスについて、情報が十分公開されたように思えませんでしたが、今回の場合は、その理由が最初に整理だって会員に公開された点を評価したいと思います。後ろ向きの変更理由だという批判もあるとは思いますが、現在の大学をめぐる状況を鑑みると変更するに足る十分な理由だと感じております。
ただそれと同時に、会長をはじめ現執行部の先生方は文部省に対し、通知の(3)にあった問題、すなわち分野とその下位領域の専攻の区分に関し異議を唱えて欲しいと思います。先日NHKのBSでやっていた「インターネット・ディベート」の第1回放送で、加藤寛氏がこの分野と下位領域の表を指し「こんな19世紀的な学問分野で考えることがナンセンス」と言ってましたが、私もその通りだと感じております。文化人類学のように、20世紀中盤以降に著しく発展した研究分野は、帝国大学−国立大学の旧体質と講座制を反映したような学問区分にはそもそも馴染まないこと、文化人類学はむしろこれらの分野の接合や横断において価値を持つ学問領域である点を強調していただきたく存じます。もちろん、会長及び理事会はその点を十分承知してらっしゃることと思います。
学会名称問題につき私見を申し上げます。
1.「民族学」から「文化人類学」への改称は、世界の学会全体から見れば、独・仏を中心とするヨーロッパ大陸部の民族学の伝統からの乖離をより完全なものにし、アングロ・アメリカを中心とする文化人類学の伝統に帰属する意思表示という大きい意味合いを持ちましょう。ただし、米国における民族学を名乗る学術誌(American Ethnologist やEthnology のような)の存在や、国際組織としてのInternational Union of Anthropological and Ethnological Sciences の存在もここに考慮されるべきでしょう。
ドイツでは目下、ドイツ民族学会(Deutsche Gesellschaft fur Volkerkunde)の"Volkerkunde" の語を "Ethnologie" に改称しようという意見が出ていますが、この場合は両語とも「民族学」を意味します。なお近年、ドイツ語圏の民族学博物館の中には、「民族学」の名称を避けてKulturen や Weltkulturen といった名称を冠する所が出てきています(Basel,Frankfurt a.M. など)。
2.今回の改称の提案は、日本の学術界・社会においてより広範に認知されることを主な目的としているようです。しかし、そのような姿勢は、マイノリティ的立場にいる人々の文化を研究対象とすることが多く、また長らく在野の学問としての立場を貫いてきた斯学の精神とはいささか異なるように思われます。
社会における認知ということについて申せば、たとえば国立民族学博物館の多方面にわたる尽力などにより、民族学という名称は日本国内において一定の知名度を得たのではないでしょうか。
3.思考の混乱は概念の混乱から始まります。そして学問とは、伝統の蓄積を土台として発展してゆくものです。その意味で、伝統ある学問的諸概念を急速に放棄しつつある日本政府の姿勢に問題が全くないとも思えません。そのような潮流に従うことには慎重であるべきだと思います。そもそも、時代精神を一歩離れた所から観察し、時に学問的良心にもとづき批判する能力にこそ、人文・社会科学の重要な存在意義があるのではないでしょうか。
4 短期的・実利的・国内的見地からだけでなく、長期的観点から、そして斯学を(英米だけにとどまらない)国際学界との協調のもとでバランスよく発展させてゆくにはどうするのがよいかという視点からも、議論が十分になされることを希望いたします。改称されるか否かという表面的な結果自体もさることながら、むしろその前提となる理念的・精神的背景がどのようなものであったか、ということが将来に大きい意味を持つように感じられるからです。
ご提案の論旨、状況変化に関する解釈に全面的に賛意を表し、われわれの研究領域が様々な要因によって多くのハンディキャップを背負わされていることをすべての会員がよく身に沁みて理解すべきものと考えます。学会名称「日本民族学会」は実態に即しておらず、かつマイナスのハンディの重大な要因のひとつであることは疑いなく、「日本文化人類学会」とすることが最良と判断します。私はこの研究領域に入って40年になりますが、ただの一度も民族学研究をしていると考えたことはありません。名称変更は遅きに過ぎたとさえ感じます。
ここでぜひ書いておきたいことは次の一点です。前回の名称変更論議で実を結ばなかった最大の理由はアンケート調査において統計上の初歩的な誤謬を犯したという点にあるということです。すなわちあの時点で会員の最大多数はすでに大差をもって文化人類学の側にありました。にもかかわらず、変更が実現しなかったのは統計の取り方がまったく奇異であったからです。問われるべきは、「文化人類学」か、それとも「民族学」かということ、あるいは今回のように、「日本文化人類学会」か、それとも「日本民族学会」かということでした。数多くの学会名称を羅列して投票させたのはナンセンスの極みでした。あの時私がこの点について発言しなかったのはあくまでも当時の会長の強引なやり方にあまり好意をもてなかったからにほかなりません。本来ならば、あの時点ですんなりと決定していなければならなかったのです。アンケートを取るなら、統計処理をしっかりやってください。
学会名変更に賛成です。数年前と事情が明らかに違ってきており、来年度の大会で是非成立させて欲しい。
日本における新たな学問世界の枠組がつくられようとするなか、貴重なご指摘、講座の同僚達と真摯にうけとらせていただきました。
さて、さっそく内容について言及いたします。
まず、日本民族学会は歴史的にみて、戦前から存続しており、その歴史性については 現在の我々が検討すべきことどもがあると考えられますが、名称そのものをそのまま存続させるかどうかと、このことは別であるといえます。名称については現在の我々会員にとって、それから未来の会員(文化人類学者)にとって、意味のあるものが望ましいはずです。
また、現在の日本において、民族学者と名乗る研究者よりも文化人類学者あるいは社会人類学者と名乗る研究者の方がはるかに多く、また静岡大学においても民族学ではなく文化人類学大講座という名称を公に使っています。
以上の点から考えれば、学会名称は「日本文化人類学会」が望ましく、日本民族学会は、これからの日本の「学問分類」を鑑みるに、適切ではないと考えられます。
そこで、本講座の結論としては、@学会名称は日本文化人類学会に変更する、A日本民族学会の歴史性についての委員会を存続させ、それについての研究成果を何回かにわけて、学会誌上で発表させ、それらに基づき学会の見解を明らかにする、以上を提案します。
これまで「日本民族学」の名称の下に精進して来ていただいた諸先輩方には心より感謝致しますし、そうした諸先輩に愛着のある名称を改めるのを心苦しく思いますが、本学会を「日本文化人類学会」と改名する方に1票投じます。理由は、@郵送されてきた文面(特に(3)の理由)に同意するため、A近年の出版状況で事実上「民族学」を冠した書籍は見当たらず、逆に「文化人類学」を冠した書籍が流通しているおり、統一した方が好ましいため、B私は「人類」を学問しているのであって、「民族」を学問しているのではないため、以上3点からです。
学会名称改称に関するお手紙拝見しました。
改称の問題は、日本民族学会第16期理事会(青木保会長)のときに提起され、私が会長をしていた第17期理事会において設置された学会名称問題等検討委員会(中村光男委員長)で検討の末、1997年5月22日、国立民族学博物館での総会の議を経て、会則改正のみを行い、学会名称は引き続き現行のままとすることに決めました。そのときの趣旨・議事録は『民族学研究』(1997年、第62巻1号pp.135-137および同巻2号p.265)にも出ていますので、ここでは繰り返しません。
さて、その後わずか4年余しかたっていないのに、またぞろ改称問題が提起されたのは、ご指摘の通り、昨今の大学や研究環境をめぐる急速な変化によるものだと理解します。とくに科学研究費補助金の部門分類の変更において、「文化人類学」が分科として独立し、学問領域名としてより強く認知されるとすれば、私たちの学会の名称が「日本民族学会」であり続けることは、学問領域名と学会名称との対応関係においてなんらかの不利益をこうむらないとは言い切れません。その意味で、科研費の部門分類の再編に合わせて「日本文化人類学会」に変更することが理にかなったことだと思われます。
なお、先述の学会の名称を続行することを決めた1997年の総会では、学会の名称を変えないということは含まれておらず、将来改称の必要が生じたときは、あらためて検討するという了解になっていたと思います。その時期がいささか早くきてしまったわけですね。
以上のような理由から、私は今回の改称に向けての波平会長の提案を支持いたします。
学会の「日本文化人類学会」への名称変更に賛成いたします。
私は、技術系の会社に勤務しているアマチュアです。従いまして専門的なことは分かりません。以下、意見を述べます。
前回の名称変更では、「民族学会」側に投票しました。
それは、私が若い頃、石川栄吉/杉之原寿一著『南太平洋』(保育社.1965?)という本を読んだのです。当時、私はハワイ音楽が好きで、ポリネシア人の民族移動など音楽の背景にも興味を持っていたのですが、その本に民族移動の記述があったのです。記述内容に疑問があったので、石川先生にその旨手紙で伺ったところ、『ポリネシア人の民族移動に関する最近の諸説』(神戸大学.1965?)と題する論文の抜き刷りを頂いたのです。
それ以来、"民族学"という言葉(分野)に惹かれていったのです。しかしながら、私は普通の会社に勤務しているので、普段は全く民族学とは関係のない生活を送っており、趣味でハワイやポリネシアの音楽を聞いたり本を読んだりして楽しんでいる程度だったのですが、若い頃の、石川先生との経験から民族学が頭に残っていました。
年齢を重ね、数年前やっと貴学会に入会し、少しずつ民族学/文化人類学といった学問が分かりかけてきました(正直なところ、難しい学問だということが分かってきた)。
さて、「文化人類学会」への賛成理由ですが、世の中に文化人類学という分野が広まってきた(認知されてきた)というのが第一です。
数年前、本屋さんである本を注文したところ、"文化人類学"で分類をしているのを見て、一般の人にもその言葉(分野)が普及してきたことを実感しました。私も"一般の人"に入るのですが、2年前の総会で「本学会を広く一般の人に開放する(参加してもらう)」ような話があったと思います。そのためには、学会名称は伝統的かつ堅苦しい民族学より、最近見なれてきた文化人類学の方が良いと考えます。
以上、全くの専門外の素人の意見ですが、本学会が発展することを祈念しております。
§1
学会の名称変更について議論するよう提案する会長の手紙を、拝見しました。この手紙にもあるとおり、学会の会長と理事会が学会の名称変更を提案し、学会をあげて議論したのは、1994、95の両年でした。それから6年後に、学会会長が再び同じ主旨の提案をしなければならないのは、名称変更の提案を承認しなかった当時の学会に、先見の明がなかったということなのか、それとも、6年というのは、再考を促すほど状況が変わるのに十分長い年月だったのか。当時、提案に加わり、総会の承認を得るべく努力した一人として、このたびの会長による再提案に、嘆かわしい思いを禁じ得ませんでした。
前回から6年の間を置いて議論し、今回も名称変更を採択しないとすれば、さらに6年後にもう一度再び議論するなどというぶざまなことは、繰り返せません。今回の会長の提案は、いわば退路を断った上での提案であり、これが最後の機会であるというメッセージでもありましょう。会長の提案にどのように応答するにしても、会員はこのことをよく認識した上で、応答すべきです。
私の考えは6年前と基本的に変わっていませんので、学会の名称の変更、それも「民族学」に替えて「文化人類学」にすることに、大筋で賛成です。以下では、当時の議論を振りかえって、今回もまた名称変更にブレーキをかけるだろうと思われるいくつかの思考について、考えてみます。以下の記述では、結論を先取りして「文化人類学」の名称を用いることには抵抗があるでしょうし、「文化人類学あるいは民族学」などと併記するのも面倒ですから、簡略に「人類学」と記すことにします。
§2
学会とは何であるのか。この問いに対する回答は、個々の会員によってさまさまでしょう。自己の専門は別にあるけれども、学際的な関心から会員となっている研究者、あるいは、教育研究職ではなくとも、自己の研究関心から会員となっている人も、多いと思います。他方で、人類学を自己の専門分野としている会員も少なくないはずです。会長の手紙はこの後者の立場から書かれています。その点で私も同類であり、その立場から申すのですが、学会の名称といった学会の基本的な属性に関しては、その学会に自己の専門的なアイデンティティを重ね合わせている会員の意見を、あるいはそのような立場からの発言を、尊重していただきたいと希望します。
誤解なきよう、念のため注記しますが、ここで私は、自己のアイデンティティを学会に置いているなどと述べているではありません。自分の研究関心に一番近い分野は人類学である、それに一番近い学会は日本民族学会である、それだけの関係であり、それ以上ではありません。
会長の手紙は、学会を取りまく状況が変わったと述べていますが、94、95年当時と同じ趨勢の延長上にあるという意味で、私には基本的に変わっていないと思えます。文部省は、大学の学部のみならず大学院についても、新設や改組に際して、一貫して研究分野別の編成を排除し、「学際的」を銘打ったテーマ別編成を推進してきました。分野名を冠した(学部の)学科(大学院の)専攻が少ないのは、人類学に限ったことではありません。たとえば、自己の研究分野を教育学(あるいは社会学)とアイデンティファイする人の中で、教育(あるいは社会)学部/学科/専攻に職を得ている人は、少数のはずです。日本で教育を受けた人の中には、自己の教育歴に、たとえば国際文化学部卒業、情報文化研究科修了などと、研究分野名がまったく現れない人も多いはずですが、それにもかかわらず、研究者は自分の受けた専門教育のアイデンティティを、文化人類学あるいは社会学など、研究分野名で認識しており、研究教育職の公募も、多くの場合、研究者としての専門を研究分野によって指定しています。
日本の研究体制に関する、あるいは教育研究者の養成に関する思考では、専門分野はいまなお基本的な枠組みであり続けていますが、人文社会科学では、大学大学院が専門分野別に編成されているのは、法律、政治、経済などの大規模な分野のみであり、それ以外の分野は大学大学院の組織編成に反映されていないという、不整合な状況がつづいてきた訳です。この不整合な状況では、専門分野のアイデンティティを支える組織は、学会をおいてほかにありません。社会に対して専門分野のアイデンティティを代表すべきこの学会が、われわれの場合、「民族学」と「文化人類学」という二重の名称の間で、あるいは「社会人類学」を加えた三重の名称の間で、引き裂かれてきたというのは、大きな不幸であり、損失でした。
学会は、ひろくいえば研究関心を共有する人々の交流の場ですが、それ以上に、専門分野のアイデンティティを代表する組織的拠点である。学会名称の議論はこの認識から出発すべきです。
§3
94、95年の議論で名称変更が承認されなかったもう一つの大きな要因は、学会に自己の専門分野を重ね合わせている人々の間での、意見の分裂でした。この点について、私は意識の植民地状態を指摘しないわけにはいきません。ありていにいえば、日本における学術を、欧米の学術を直輸入して移植したものに、おとしめるような思考です。アメリカで教育を受けた人には、アメリカの学会(AAA)をモデルに思考する人があり、ヨーロッパ大陸に留学した人には、自己の専門を「民族学」であって何々人類学ではないと主張する人があり、イギリスに親しい人には「社会人類学」に固執する人がいます。このような意識を自省することなく、意識の赴くままに議論すれば、学会名称の議論は、欧米学会の出先エイジエントによる陣取り合戦の場に堕してしまいます。
アメリカで教育を受けた人が、アメリカを自己の思考の標準にするとしても、それ自体に問題があるのではありません。アメリカに標準を求めるのであれば、その標準に従って、アメリカに自己の思考の成果を提示すべきであり、そこで高い評価を受けるとすれば、それはすばらしい業績です。しかし、その人が日本に(日本にも)教育研究の場を求め、日本語でも教育し、日本語で研究成果を提示するとすれば、その場面に関する限り、かれは、アメリカの標準の及ぶべき境界を越えているのであり、アメリカの標準が標準として機能しない場に、身を置いていると知るべきです。それでもなおかつ、アメリカの標準で日本の教育研究の場を計り、行動するとすれば、それによってかれは日本の教育研究の場を植民地化しているのです。
こと人類学に関する限り、地域によって相互に名称が異なるように、地域によって内容も異なります。その内容の差異は、偶然的な地域的バリエイションではなく、この研究分野に不可避的な、その意味で本質的な差異です。なぜならば、この研究分野は「他文化の研究」である限りで、自他の区別と関係に規定されるからです。自己が他者になれないように、他者も自己にはなれません。
日本社会に存立の基盤をおく--日本の教育研究制度にその一環として参加し、日本語で日本社会に働きかける--人類学は、それ独自のパースペクティブに立ち、その内容は他国の、たとえばアメリカ合衆国の、あるいはフランスの人類学のパースペクティブと、異なるはずです。アメリカの人類学から見た日本の人類学と、日本の人類学が自己認識する日本の人類学とは、一部は重なるとしても、全体が一致することはあり得ません。
人類学は不可避的に社会の(あるいは国家の)境界によって境界づけられている。そうであるならば、学会のあり方について考える際に、より広くは研究分野のあり方について考える際に、アメリカやイギリス、ヨーロッパ大陸の類例を参照する人は、これらを参照することの意味について、自省すべきです。アメリカのethnologyをヨーロッパ大陸の民族学(より個別にはフランスのethnologie、ドイツのVoelkerkundeなど)の目でながめるのが、誤りであるのと同様に、日本で「文化人類学」と名乗っている研究分野を、アメリカのcultural anthropologyによって判断するのは、誤りです。
他国の学会をどのように参考にするとしても、日本の人類学は、日本社会に独自のものとして、日本に拠点を置く人類学者が、自前で構想し、自ら作り上げていくしかありません。まずこの点が第一であり、日本の学会の選択が他国の研究者の目にどのように映るかなどは、その次、あるいは第三第四の考慮対象でしかないでしょう。
「日本社会に独自のものとして」と述べました。この点でも誤解されることが気がかりですので、注記しますが、ここで私は、「日本的な」人類学、内容において際だった特徴のある、「日本文化」に根ざした類の人類学を、想定しているのではありません。教育研究制度あるいは使用言語などによって人類学の位置とパースペクティブが社会的に境界づけられていること、この境界づけられた人類学に対する責任主体は、この境界の内側で教育研究に従事するものであること、これらの認識の重要性を述べているのであり、それ以上の主張を含むものではありません。
§4
94、95年の議論でもう一つ、強く記憶に残っているものに、学会の名称を変えようとするのならば、変えることによって、どのように明るい未来の展望が開けるのか、それを示して欲しいという意見がありました。確かに、今後も続くであろうじり貧傾向が、少しでも好転することを期待して、看板(名称)を変えるというのであれば、あまりに寂しい話しです。この意見が当時の会長と理事会の提案を退けさせた最大の要因だったと思えたのならば、95年に学会が下した結論に、私も納得したでしょう。
学会はその後、視野を学会の名称からさらに広げて、学会と研究分野を全体的に再構想する場を設けたはずですが、どのような成果に至ったのか、私は議論に参加しませんでしたので、よく知りません。ことは学会だけの問題ではなく、教育研究制度、出版マスメディア、あるいは官界(?)業界(?)における人類学のプレゼンスの問題でもあるでしょうから、私にも応分の責任はあると認めます。今回の会長の提案を受けて、会員の間で議論が交わされるでしょうが、その議論が植民地主義的な陣取り合戦に堕することなく、日本という社会によって境界づけられた人類学の今後をいかに構想するのか、この問いに焦点を絞っていくことを期待します。
日本文化人類学会に名称を変更することに賛成いたします。
学会名称を日本民族学会から日本文化人類学会に変更することを支持します。但しその理由は,学界での関心領域の推移にあるべきであって,トップ30問題への事後的対処に求めるべきではないと考えます。
学会名称変更については、私が会長をやっていたときの理事会でも話題になったことがあり、先送りになっていました。数年前の学会総会で、私は発言し、名称を変更したいという当時の理事会案に賛成したのですが、結局は決まりませんでした。戦前にウィーンでSchmidtのもとで民族学を研究された岡正雄、石田英一郎先生らが創設された学会の名称が、現在学問がすっかり変わった現在でも使われる必然性はないと思います。アメリカでも民族学会(American Ethnological Society)はありますが、これは「アメリカ人類学会」のもとにある多くのサブ学会のひとつであり、民族学の名が使われるとしても、文化人類学の一領域に過ぎません。周知のようにアメリカでは、人類学は形質人類学と文化人類学に分かれ、この分け方が理想ですが、日本では、人類学は専ら形質(自然)人類学を指してきたので、文化人類学或いは社会人類学の名称に学会名を変更すべきです。日本の大学でも、授業科目や講座名は文化人類学か社会人類学であり、学会名がこれと違うのもおかしいと思います。ヨーロッパでもとくに英仏では学会名には社会人類学が使われております。
「民族学会」という名には創立当時には妥当性があったでしょうが、現在の内外の状況からみて「日本文化人類学会」とするのが適当と思われます。私個人も文化人類学という言葉を使うようになりました。