日本文化人類学会賞・学会奨励賞歴代受賞者一覧

更新:2023年06月09日



第18回日本文化人類学会賞の授賞

2023年06月04日

 日本文化人類学会は、第18回日本文化人類学会賞を太田好信氏に授与することとした。
(受賞者)
太田好信
(授賞対象業績)
ポストコロニアリズム批評の流れを汲んだ「文化の表象」に関する一連の研究
(授賞理由)
太田好信氏は、グアテマラ共和国におけるマヤ系先住民と近代国家との関係、アイヌ文化の復興、沖縄の「シマクトゥバ(島言葉)」、ハワイにおける文芸運動に関する研究等を通じて、文化を語ることをめぐる文化人類学者と現地の人々との非対称的な関係、およびそれに下支えされた文化人類学者の学的営為の政治性にまつわる鋭い批判的考察を展開してきた。それは同時に、ポストコロニアリズム批評ならびにポストモダン人類学の立場から従来の人類学を歴史化し、人類学を再想像するための試みでもあった。なかでも、サバルタンの文化をいかに表象できるか、「文化を語る権利」は誰にあるのかという問いは多くの業績に通底するものであり、太田氏は、現地の人々の視点や主体的関与をいかにして表象に反映させうるかという議論を常に主導してきた。また、『文化の窮状−20世紀の民族誌、文学、芸術』(2003年、人文書院)の共訳などを通じて、ポストコロニアリズム論の世界的旗手であるジェイムズ・クリフォードの業績を日本に広く知らしめたことも、きわめて重要な功績であろう。
 太田氏の業績は、1990年代後半から20年以上に亘って日本の人類学界に思想的影響を与えてきたのみならず、カルチュラル・スタディーズや民俗学をはじめとする隣接分野でも広く知られており、その影響力は日本における「ポストコロニアリズム論的転回」の導因の一つとなったとも評価し得る。単著としては、『トランスポジションの思想−文化人類学の再想像』(1998年、世界思想社)を皮切りに、『民族誌的近代への介入−文化を語る権利は誰にあるのか』(2001年、人文書院)、『人類学と脱植民地化』(2003年、岩波書店)、『亡霊としての歴史−痕跡と驚きから文化人類学を考える』(2008年、人文書院)、共編著書としては『政治的アイデンティティの人類学−21世紀の権力変容と民主化にむけて』(2012年、昭和堂)などを精力的に公刊してきた。また、浜本満氏との共編著である『メイキング文化人類学』(2005年)は、文化人類学の学説史の展開について、諸学説の内容だけでなく主要な論者の経歴に焦点をあてて学説の背景にある社会的文脈を浮き彫りにさせるというユニークな編集方針を打ち出して、学説史を学ぶ若き人類学徒にとっての必読書の一つとなっている。
 日本文化人類学会の諸活動への多大な貢献も認められる。2016年には、日本文化人類学会公開シンポジウム「現代社会における人文・社会科学とは何か―文化人類学からの応答の試み」を代表者として企画・実施したほか、現在、学会をあげて取り組んでいるアイヌ倫理問題においても、倫理委員会(アイヌ研究特別小委員会)のメンバーとして中心的な役割を担っている。このように太田氏は、今日においてもアクチュアルな問題を提起し続けながら、自身の研究成果を能動的に社会に還元する活動を展開している。
以上の理由により、太田好信氏に第18回日本文化人類学会賞を授与する。

(第18回日本文化人類学会賞 受賞記念講演)


第18回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2023年06月04日

 日本文化人類学会は第18回日本文化人類学会奨励賞を村津蘭氏に授与することとした。
(受賞者)
村津蘭氏
(授賞対象論文)
悪魔が耳を傾ける−ベナン南部のペンテコステ・カリスマ系教会の憑依における想像と情動
(授賞理由)
本論文は、ベナンのペンテコステ・カリスマ系教会における憑依を対象とし、それが人々によって「悪魔」として経験されるプロセスを情動と想像力、記憶に焦点を当てることを通じて明らかにしようと試みた挑戦的な論考である。人類学の古典的な研究テーマである妖術や憑依をめぐる議論を、近年の人文社会科学において関心を集めている情動論と接合させることで新たな視点から深化させた功績は大きい。著者の村津蘭氏は、憑依を政治的経済的変化やそれにともなう社会的困難に対する人々の解釈やリアクションなどとして一面的に位置づけず、「悪魔」が実体をともなったものとして人々に受容されるプロセスを、憑依の当事者のみならず神父や会衆などの多様なアクターの語りや振る舞いにも目を配りながら多面的に記述し、人々の想像力が現実を立ち上げる様態を巧みに描き出すことに成功している。
情動をめぐる議論は人類学においても活況を呈してはいるものの、先端的な理論と厚みのある事例の記述をしっかりと組み合わせた民族誌的研究は未だ多くない。そうしたなか本論文は、従来の妖術論や憑依論が対象としてきた語りなどの言語的側面はもとより、感覚や情動、身体的な記憶や振る舞いといった非言語的側面、およびそれらと想像力の関わり合いにも着目しつつ、憑依のなかで「悪魔」が立ち現れるさまを丁寧に記述・分析しており、これまでの空白を埋め得る優れた論考として評価できる。また、汎用性はあるものの曖昧模糊とした想像力という概念を、より実効性をともなったものへと引き上げた点においても、学術的に意義深い。
 以上の諸点から、本論文を日本文化人類学会奨励賞にもっともふさわしい論考と判断し、著者の村津蘭氏に第18回日本文化人類学会奨励賞を授与する。

(第18回日本文化人類学会奨励賞 受賞スピーチ)


第18回日本文化人類学会賞・学会奨励賞の授賞

2022年03月11日
第30期会長 真島一郎

日本文化人類学会会員各位

 第18回学会賞・学会奨励賞の授賞について、このたび受賞者を決定いたしましたので、両賞の受賞者と併せお知らせいたします。

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  第18回日本文化人類学会賞受賞者 太田好信 会員
  第18回日本文化人類学会奨励賞受賞者 村津 蘭 会員

 6月3〜4日に県立広島大学で開催される第57回研究大会において、4日の社員総会終了後、両賞の授賞式および学会賞受賞者の受賞講演を行いますので、会員の皆様にはよろしくご参集いただけますようお願いいたします。

 授賞理由等については、授賞式終了後に改めてお知らせいたします。


第17回日本文化人類学会賞の授賞

2022年06月04日

 日本文化人類学会は、第17回日本文化人類学会賞を栗本英世氏に授与することとした。
(受賞者)
栗本英世
(授賞対象業績)
南スーダンおよびエチオピアを基点とした暴力と紛争の人類学に関する一連の研究
(授賞理由)
 栗本英世氏は、40年余の長年にわたる南スーダンおよびエチオピアにおける民族誌的研究を通して、暴力と紛争の人類学というオリジナルな研究分野を開拓してきた。その特徴は、主著『民族紛争を生きる人びと―現代アフリカの国家とマイノリティ』(1996年)、『未開の戦争,現代の戦争』(1999年)にまとめられているように、それぞれ特定の民族について詳細に記述しつつも、より広い空間的・時間的枠組みのなかに紛争を位置づけたことにある。特に後者では「未開の戦争」において、諸民族に共通する年齢組織が重要な意味を持つことを明らかにし、逆に、相互に繰り返す戦争と平和によって年齢組織そのものが「共鳴」するように発達してきたのだと洞察している。
 栗本氏の広い時空間のなかに紛争を位置づけるというアイディアは、国内のみならず、海外の研究者と積極的に交流し、共同研究やシンポジウムを組織するなかで生みだされてきた。栗本氏は、『Conflict, Age & Power in North East Africa』(1998年)、『植民地経験―人類学と歴史学からのアプローチ』(1999年)、『Rewriting Africa: Toward renaissance or collapse』(2001年)、『Remapping Ethiopia: Socialism & After』(2002年)、『Engaging Monyomiji: Bridging the Governance Gap in East Bank Equatoria』(2011年)などを編纂し、日本の人類学者と欧米のアフリカ研究者やアフリカ人研究者との研究ネットワークを構築してきた。日本の人類学のグローバル化に貢献した氏の業績は非常に大きいといえるだろう。また、アフリカ人研究者と日本の人類学者のネットワークを構築してきたことは、「周辺人類学」の脱構築という点でも重要な意味がある。
 さらに、紛争の研究に関連して、難民や国内避難民、平和構築、人道的介入などのテーマにも取り組み、その成果は、共編書『トランスナショナリティ研究―場を越える流れ』(2003年)、『紛争後の国と社会における人間の安全保障』(2009年)、『共生学が創る世界』(2016年)、『共生学宣言』(2020年)などにまとめられている。これらの成果をもとに栗本氏は、外務省職員、援助関係者、現地駐在のビジネスパーソン等に、政策や支援に関する知見や視点を与えてきた。これは、人類学が本来すべき社会的貢献、すなわち人類学的知見を通して対象地域における問題やテーマの理解を深めるものとして高く評価できる。
 以上のことから、栗本英世氏に第17回日本文化人類学会賞を授与する。


第17回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2022年06月04日

 日本文化人類学会は第17回日本文化人類学会奨励賞を張詩雋氏氏に授与することとした。
(受賞者)
張詩雋氏
(授賞対象論文)
神仏の肖像 ――チベット・タンカの制作と崇拝について
(授賞理由)
 本論文は、チベット・タンカの制作と崇拝を題材とし、タンカが「神仏の肖像」であると捉え、その宗教性と審美性が高められていく過程を描出している。美学や哲学において、肖像は主体の隠喩として解釈されてきたが、タンカは神仏という不在の存在の肖像であることから、作成においては模倣と同一化の実践となっていくという議論が、豊富な民族誌的記述によって裏打ちされている。
 かねてよりタンカ作成における様式美(可量性)の重要性を指摘する研究は存在したが、これに加えて本論文は、現地調査を通じて不可量性をとりだすことに成功した。さらにジェルのエージェンシー論を援用しながら、そのエージェンシーが発動されるプロセスを描きだした。可量性と不可量性がタンカの宗教性・審美性に関与していること、さらに作成者とタンカが身体物質を通して一体化することで実現する身体美学が、人びとの感情や行為を喚起しているという指摘は、エージェンシー論をさらに深め前進させるものとして評価できる。
 以上の理由により本論文を高く評価し、第17回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第16回日本文化人類学会賞の授賞

2021年06月04日

 日本文化人類学会は、第16回日本文化人類学会賞を春日直樹氏に授与することとした。
(受賞者)
春日直樹
(授賞対象業績)
オセアニアに基点をおいた、ポストモダンおよびポストコロニアル人類学から存在論的転回にいたる批判的人類学
(授賞理由)
 春日直樹氏は、オセアニアにおける人類学的研究に基点をおきつつ、ポストモダン人類学から存在論的転回にいたる理論的研究において先導的役割を果たしてきた。
 春日氏は、単著として『経済人類学の危機―現代社会の「生存」をふりかえって』(1988年)、『太宰治を文化人類学者が読む―アレゴリーとしての文化』(1998年)、『太平洋のラスプーチン―ヴィチ・カンバニ運動の歴史人類学』(2001年)、『ミステリイは誘う』(2003年)、『なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか?』(2005年)、『「遅れ」の思考―ポスト近代を生きる』(2007年)を著した。『太平洋のラスプーチン―ヴィチ・カンバニ運動の歴史人類学』はサントリー学芸賞を受賞し、その選評では「十年に一度の労作」と讃えられるなど、非常に高く評価されている。
 また共著を含む編著には、『オセアニア・オリエンタリズム』(1999年)、『オセアニア・ポストコロニアル』(2002年)、『貨幣と資源』(2007年)、『人類学で世界をみる―医療・生活・政治・経済』(2008年)、『現実批判の人類学―新世代のエスノグラフィへ』(2011年)、『科学と文化をつなぐ―アナロジーという思考様式』(2016年)、『文化人類学のエッセンス―世界をみる/変える』(共編、2021年)があり、自らがフィールドとするオセアニアの研究者にとどまらず、広く地域を越えた人類学者との論集を編み、人類学を現実世界と果敢に接続しようと試みる一方、人類学のみならず人文諸科学とも共同研究をすすめ、広い学問分野に人類学の存在感を示してきた。
 春日氏はマーカスとクリフォード共編の『文化を書く』(1996年)を翻訳するなど、ポストモダン人類学やポストコロニアル人類学の第一人者であるが、その一方で著書『太平洋のラスプーチン』の中でも述べているように「ポストモダンの極論にも啓蒙主義的なナイーヴさにも染まることなく、喚起力に溢れた」人類学を紡ぎだそうと格闘してきた。また、市場原理と自己規律化が支配する現代において、人々が感じる「遅れ」の感覚を取りあげたり、動物実験・ゲノム科学・生物科学・老人ホームといった、これまで人類学が十分に扱ってこなかった領域を開拓したりするなど、人類学の新たな可能性を模索し続けてきた。ポストモダン人類学から存在論的転回にいたる最先端の理論に対して批判的な検討を進める一方、理論から適切な距離を取り、堅実なフィールドワークに裏付けられた論拠を展開する姿勢は一貫しており、高い学問的水準を有している。
 また、多くの共同研究を組織し、最先端の理論に対峙する知的な姿勢を後進に伝えるなど、若手研究者の育成を積極的に進めてきた他、国際的なオープンアクセス・ジャーナルNatureCultureを創設し、内外の研究者と共に国際的な議論の場を育ててきた。春日氏の文化人類学に対する貢献は極めて大きい。
 以上の貢献を高く評価し、春日氏に第16回日本文化人類学会賞を授与する。


第16回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2021年06月04日

 日本文化人類学会は第16回日本文化人類学会奨励賞を金子亜美氏、近藤有希子氏に授与することとした。
(受賞者)
金子亜美
(授賞対象論文)
キリスト教化と言語 ―南米チキトス地方のイエズス会布教区におけるジェンダー指標の用法から
(授賞理由)
 本論文は、ボリビア東部のチキトス地方におけるキリスト教典礼を題材に、先住民言語のメタ語用論的分析をすることで、過去と現在の典礼におけるジェンダー間の社会的文脈がいかに変容したかを考察した優れた論考である。典礼で使われる先住民言語には、話者のジェンダーに依る男性変種と女性変種が存在する。著者は17〜18世紀に宣教師が記した文法書の分析から、宣教師がジェンダー変種を神を区別する能力の有無を示す指標と見做し、男性変種のみを典礼の言語としていたことを解明した。次に、民族誌的調査で得られた知見から、現在はジェンダー変種の用法が変容し、神の前におけるジェンダーの平等な関係性が創出されていることを明らかにした。歴史史料の丹念な分析と現在の民族誌的記述を連続線上に置くことで、ジェンダー変種の使用をめぐる変容が、社会的文脈の変容をいかに創出するかを説得的に論じている。
 従来の南米の先住民に関する研究においては、人々が描くキリスト教世界に隠された先住民的思考の解明のために、語りや行為を意味論的に分析するものがほとんどであった。これに対して本論は、言語人類学の理論的視座を導入し、キリスト教化後におきた先住民社会の変容の解明に果敢に挑戦している。本論で用いた手法が他の言語・地域でも適用可能であるかは検討の余地があるが、本研究は、外部からもたらされた実践や解釈が、いかに社会の細部に定着し変容していくかという普遍的な課題に対して、重要な理論的貢献をしている。
 以上の理由により、本論文を高く評価し、金子亜美氏に第16回日本文化人類学会奨励賞を授与する。

(受賞者)
近藤有希子
(授賞対象論文)
悲しみの配置と痛みの感知―ルワンダの国家が規定するシティズンシップと人びとのモラリティ
(授賞理由)
 本論文は、虐殺後のルワンダで行われている和解と統合の活動に参加する人々の多岐にわたる経験に注目し、公的に承認される被害者ではなく、善悪に二分できない「灰色の領域」に位置する人々の行為や沈黙が、いかなる倫理的な応答をひらくかを探求する論考である。対話集会の開催や虐殺生存者基金による援助は、紛争によって分断された人々を等しくルワンダ人として包摂しようとする筈のものであったが、一方で、トゥチだけを「真正な生存者」として認定し、フトゥを加害者として位置づけるものでもあった。著者は、対話による真実の追求がかえって断絶を生み出し、共同体の再生につながらないと批判しつつ、断絶を生み出す公的な場での語りと、「灰色の領域」の人々の声・表情・疼き・沈黙・援助の辞退などの行為との隙間を丹念に埋めていく。豊富な事例を示しながら、公的に承認されない「灰色の領域」の人々の苦しみが、他の人々にひらかれ、自他の根本的な「弱さ」を通して共生していく可能性を説得的に論じている。
 シティズンシップの構築が目指される公的な場において、公的に承認されない人々の経験がどこまで共有されるかが不明であるなど議論の展開に不十分な点はあるが、ルワンダの虐殺に関する多くの先行研究を踏まえつつ、民族誌的調査で得られた成果を基に、対話による断絶を乗り越える糸口を示したことは高く評価できる。また他の国や地域における紛争後の和解と統合に関する応用研究の可能性も期待される。
 以上の理由により、本論文を高く評価し、近藤有希子氏に第16回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第15回日本文化人類学会賞の授賞

2020年06月22日

 日本文化人類学会は、第15回日本文化人類学会賞を上橋菜穂子氏に授与することとした。
(授賞対象業績)
『精霊の木』(偕成社、1989年)に始まる、文化人類学の知と想像力を活かした一連の著述活動
(授賞理由)
 上橋菜穂子氏はオーストラリア先住民について研究を行う文化人類学者であり、同時に児童文学を執筆する文学作家でもある。氏の著作は、自身のフィールドワークの経験や異文化理解をめぐる文化人類学の知を背景として執筆され、児童文学の範疇を超えて多くの読者を獲得している。こうした氏の一連の活動は、きわめて広い範囲の人々の文化人類学に対する関心を高め、文化人類学を学ぶきっかけを生み出していると同時に、文化人類学の知や想像力を活用する新たなあり方を提示し、文化人類学やその他の領域の専門家に対しても大きな刺激を与えてきた。
 上橋氏のオーストラリア先住民に関する研究の直接の成果の代表例としては、単著『隣のアボリジニ――小さな町に暮らす先住民』(筑摩書房、2000年)が挙げられる。本書は氏の、対象への深い共感と洞察を示した、広い読者層に届く民族誌である。氏は本書以外にも、オーストラリア先住民やセンサス等についての学術論文を執筆し、共著書は8冊を数える。
 しかし何より、上橋氏を世界的に知らしめているのは文学作家としての活動である。氏の著作は、物語の構成力や人物造型により多くの読者を引き込む。大学院在学中に執筆・公表された『精霊の木』(偕成社、1989年)に始まり、『精霊の守り人』(偕成社、1996年)を第1作とする「守り人」を冠した一連の作品、『獣の奏者』(講談社、2006年〜2009年)、『鹿の王』(角川書店、2014年〜)など連作化されたものも含めて、これまでに物語単著書24冊、エッセイや対談集などは8冊に上る。その発行部数は日本語のみで合計1,100万部を超え、テレビやラジオのドラマ化やアニメ化などを通して、さらに多くの人々に親しまれている作品もある。
 だが冊数・部数など以上に強調されるべきなのは、上橋氏の著作の底流には、文化人類学的な知や多文化主義などの理念があること、そしてそれらを背景として多様な人間の文化・社会のあり方や、人間以外の存在との関わりも含めた多様な世界のあり方が、力強くかつ印象深く描きこまれているということである。このような特徴をもつ氏の著作は、イタリア語、英語、韓国語、スウェーデン語、スペイン語、中国語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語に翻訳され、世界的に読者を獲得している。その意味で氏は、文化人類学を学ぶ者にとってのみならず、世界を生きる者にとってきわめて意味のある価値や世界への態度を、国境や言語の壁を越え、これから世界をつくりあげていく若い読者たちに伝えているといえる。
 こうした活動により上橋氏は、1992年に『月の森に、カミよ眠れ』(偕成社、1991年)が日本児童文学者協会新人賞を獲得したことを皮切りに、児童文学を対象とした国内外の数々の賞を獲得している。その中には全米図書館協会が授与するMildred L. Batchelder Award(2009年)と国際児童図書評議会が授与する国際アンデルセン賞の作家賞(2014年)も含まれる。また、2015年に『鹿の王』が本屋大賞および日本医師会が主催する日本医療小説大賞を受賞したことは、氏の著作が、児童文学の域を超えた広い読者層を獲得していること、さらに医療という重要な専門領域に対する社会的な貢献の点からも高く評価されるものであることを示している。
 文化人類学は一つの学問領域として知を蓄積するものであるが、それと同時に、つねに社会への関与を重視し、その知や方法、想像力を多様な領域で応用・活用しようとしてきた。そうしたなかで近年、広義のSF(speculative fiction)の分野とのある種の親和性が強調されるようになっている。シカゴ大学で人類学を学び、その有効性を公言し、作品『猫のゆりかご』によって論文博士号を認められたカート・ヴォネガット、アルフレッド・L・クローバーとセオドーラ・クラコー・クローバー・クインという2人の人類学者を両親とするアーシュラ・K・ル=グウィンや、オックスフォード大学で社会人類学の博士学位を取得して、ニューヨーク市立大学で比較文学を講じたアミタフ・ゴーシュなど、人類学とフィクションは伝統的に深い関係を保ってきた。こうした点は、現在、地球規模の気候変動と環境変化のなかで、未来を想像する手段としてSFなどのフィクションが注目を浴びるなかで、ますます大きな意味をもちつつある。このような時代において上橋氏は、文化人類学とフィクションの世界を結びつけ、創造的な著述活動を通して文化人類学の社会とのかかわり方の可能性をダイナミックに示してきた。そして、学術的な書籍/論文が到底届かないような読者にアピールする形で文化人類学の理解を届けてきた。
 文化人類学者かつ文学作家として、双方の分野で著作を生み出し、また双方の分野を大学で講義し、国内においては文化人類学の励起する想像力の力を人々に知らしめ、海外においては日本人の文化人類学者の存在感と世界観を印象づけた点で、上橋氏の業績は過去に類例がなく、その活動は文化人類学の知と想像力を表現し、人々に伝える方法としてきわめて高く評価できる。
 以上のことから、上橋菜穂子氏に第15回日本文化人類学会賞を授与する。


第15回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2020年06月22日

 日本文化人類学会は第15回日本文化人類学会奨励賞をKEMIKSIZ Asli氏に授与することとした。
(受賞者)
KEMIKSIZ Asli
(授賞対象論文)
Modeled After Life Forms: Embodiment and Ways of Being an Intelligent Robot
Japanese Review of Cultural Anthropology vol.19 no.1 所収)
(授賞理由)
   本論文はAIやロボットの研究の分野において、人間存在の根幹である知能の理解に生じつつある変容を、国内のあるロボット工学研究室の民族誌的調査に基づいて問うオリジナリティの高い論文である。著者は、工学、認知科学、哲学、生物学などの多分野が交錯する学際的な領域であるロボット工学に焦点を当てて、学問分野を超えた知能の概念的理解とモデルの複雑な流通を検討する。とくに、新世代のロボット工学が知能と身体を不可分のものとして捉えることに注目し、このような知能理解と近年の生命理解-生命の計算論的(computational)なモデル化など-との結びつきを明らかにするとともに、そのロボットデザインへの影響を実験室の民族誌の手法に基づいて論じているのが特徴である。
 本論文の魅力は、科学的実践のテクニカルな詳細を捉えることによって、その内在的な特徴を人類学の概念的な課題と結びつけている点にある。筆者は、「人間の鏡」としての人類学というクラックホーンの議論を援用し、ロボット工学を、人間を映し出すもう一つの鏡として捉えようとする。ここではロボット工学は、人間とは何かという人類学的な問いを、ロボットを作成するという特異な科学的・技術的な実践を通して明らかにしようとする営みとして描かれる。ロボットを社会や文化の反映としてみる還元主義的な見方とは一線を画し、それを人類学的な問いに通じる生の記述として捉えたことは、この分野にとって良質の貢献と言えるだろう。
 さらに、本論文は、上記のように複数の研究領域の交差点に成立したロボット工学が、従来の科学モデル(例えば、クーンのようなパラダイムモデル)には当てはまらない折衷的な性格を持つことを解明し、科学の人類学に対して重要な実証的貢献を行っている。また、この折衷性をクーンの議論の元となった1930年代のルートヴィッヒ・フレックの古典的な研究を再考する形で分析している点でも、同分野への理論的貢献は高く評価できる。
 審査の過程で、データの厚みによる論証という点で、特定研究室の2人の研究者にフォーカスする以外は、集合的で一元化した言及のみでしか生のデータが提示されていない点、概念がこなれていない部分や、考察の力点がぶれる部分等もあり、また、結論が収斂しきれていないなどの点が指摘された。しかし、今後の議論の発展性を十分に示唆しており、既存研究の概念に適切に依拠しながら、調査データを用いて独創的に思索を進めた論考としての評価を損なうものではないと判断した。
 以上より、本論文を高く評価し、第15回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第14回日本文化人類学会賞の授賞

2019年06月02日

 日本文化人類学会は、第14回日本文化人類学会賞を関根康正氏に授与することとした。
(授賞対象業績)
「ケガレ」の人類学から「差別」を経て「ストリート」へと展開する下からの視点に基づいて人類学の在り方を探求する一連の研究
(授賞理由)
 関根康正氏は、南アジアを主たるフィールドとして、不可触民を対象とした調査を行い、独自のケガレ概念の分析を展開し、そこから宗教的差別をめぐる議論を経て、より一般的に排他性への対抗を模索する方法としてストリートに立脚した人間の営みに注目した人類学の提唱へと独自の理論展開を深め、差別、宗教紛争、都市の課題を現代社会に生きる我々の問題として理論展開を深めてきた。
 単著『ケガレの人類学−南インド・ハリジャンの生活世界』(東京大学出版会、1995年)は、豊富な調査資料に基づいて、境界性をもつ「ケガレ」イデオロギーとその実践から、ハリジャンの生きていく戦術を地域社会の文脈のなかで理解しようとした優れた民族誌的研究である。「ケガレ」の課題は共編著『排除する社会・受容する社会―現代ケガレ論』(吉川弘文館、2007年)において、現代社会における他者のまなざしの中での開かれた自己生成を問うことにつながっていった。更に今一つの重要な概念である「差別」は、単著『宗教紛争と差別の人類学―現代インドで〈周辺〉を〈境界〉に読み替える』(世界思想社、2006年)、Pollution, Untouchability and Harijans: A South Indian Ethnography (Jaipur: Rawat Publications、2011)、共著『社会苦に挑む南アジアの仏教―B.R.アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』(関西学院大学出版会、2016年)、共編著『南アジア系社会の周辺化された人々―下からの創発的生活実践』(明石書店、2017年)などにおいて差別や宗教対立を、対岸のこととしてではなく、我々の問題として自己の存在そのものを見直すことを喚起している。その後、関根氏の関心は、都市そしてストリートへと展開する。その成果は、我々の生きる現代社会の生活空間の質を問う編著『〈都市的なるもの〉の現在―文化人類学的考察』(東京大学出版会、2004年)、さらに都市の境界的な場であるストリートからのネオリベラリズム批判、他者了解と自己変容の人類学的実践を目指した編著『ストリートの人類学』(国立民族学博物館、2009年)、『ストリート人類学―方法と理論の実践的展開』(風響社、2018年)が刊行されている。
 関根氏の研究は丹念なフィールドワークに基づいた民族誌的資料を基盤としつつ、土木工学、地域計画といった理工系の学びから出発したことも与り、その理論展開は同世代の日本の人類学者とは一線を画す独自性を有している。参照される研究者も恩師岩田慶治氏を筆頭としつつ、通例の人類学者が目を向けがちな分野にとらわれない自由さに満ちている。人類学が標準化に抗し、多様性を尊ぶ学問であるとすれば、単に研究対象の文化的な多様性を重視するにとどまらず、人類学者自身が示す多様な知的背景と視点の展開も、この学問の活力にとって重要な要素であり、その点で、学問領域を問わず広く文献を渉猟し引用しながら、時に哲学者、啓蒙家、批評家のごとくに論を展開し、人類学の全体潮流を踏まえつつ独特な歩みを着実に続けるバランス感覚に富んだ研究を遂行する関根康正という一人の研究者を日本が擁しえたことの意義は大きいと思われる。
 同時に自らの研究の道を一人たどるのではなく、共同研究を次々と組織し、若手を巻き込み育成しつつ知的運動を巻き起こそうとしてこられた点において、関根氏の文化人類学への貢献は大である。国立民族学博物館の共同研究や科学研究費補助金による共同研究の主宰が継続的に行われており、前述の編著はそれらの成果である。そうした共同研究の展開においては、ネオリベラリズムやグローバリズムといった現代世界を特徴づける諸動向に対して人類学が果たすべき役割への強い認識がみられ、人類学の社会的役割の意識化についても、関根氏の研究が果たしてきた役割は大きい。また、学会活動においては、第26期学会長を務め、学会監修による『フィールドワーカーズ・ハンドブック』(世界思想社、2011年)の刊行に際しては、編者としてフィールドワークの実践的入門の啓蒙を果たした。
 以上の貢献を高く評価し、関根康正氏に第14回日本文化人類学会賞を授与する。

第14回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2019年06月02日

 日本文化人類学会は第14回日本文化人類学会奨励賞を下記の2名に授与することとした。
(受賞者)
飛内悠子
(授賞対象論文)
「クク人と故郷カジョケジ―南北スーダンにおける人間の移住と場所の変容」
(『文化人類学』第82巻4号、2017年)
(授賞理由)
 本論文は、東ナイル系に属し、ククと自称する人々のうち、第二次スーダン内戦(1983-2005)のさなかに国内外へ移住ないし避難した人々、またその後の南スーダン共和国の分離独立(2011)を経て、そこから帰還を果たした人々が、カジョケジと呼ばれる土地をいかにして自分たちの「故郷」として捉えるにいたったかを、いくつかの別々の事例から検討した論文である。調査地は南スーダン共和国の最南部に位置するカジョケジ、同共和国の首都であるジュバ、スーダン共和国の首都であり、ククの人々の主要な避難先の一つでもあったハルトゥーム(と、事例としては取り上げられていないが、同じく主要な避難先であるウガンダ)に及ぶ。
 この論文で語られるのは、単に流浪の民が故地への回帰を果たし、「故郷」を回復して、そこで完結した物語ではない。著者は、前半ではハルトゥームとジュバでの聖公会の教会活動のなかでカジョケジという故郷が異なるやり方で再定位されるさまを示し、後半ではカジョケジに帰還し、しかし就職や就学の都合から離れて暮らす一家族の構成員が、その生活体験のなかでそれぞれにカジョケジのなかに帰るべき異なる場所を見出す様子を記すことで、故郷に向けられるククの人々の眼差しに宿る葛藤や揺れを描き出すことに力を注いでいる。
 人が特定の場所へとどのようにして結びつけられるのか、とりわけ、「故郷」という多種多様な感情を喚起する場とどのようにつながっていくのかを論ずる上で、この論文は、人と空間との結びつきの構築性や多元性をめぐる先行研究を踏まえながらも、新規な事例の提供や理論の飛躍を目指しているわけではない。あるいは、理論的な収束という点ではなお改善の余地があると評価する向きもあるかもしれないし、論文中の系図に明らかな誤りがあるなど技法上の問題点もなしとはいえない。しかしながら、若い人類学者が調査地の多種多様な現実に正面から向き合い、安易な理論に即して気ままに事例を切り貼りするのではなく、自ら定めた一つの主題をめぐって様々な角度から事例を掘り下げ、謙虚な姿勢で、諦めることなくフィールドと格闘した様子を、活き活きとした文体をもって伝えている。その意味で、本論文は著者と著者の人類学の、未来における多くの可能性を感じさせる。以上の理由により本論文を高く評価し、第14回日本文化人類学会奨励賞を授与する。
 
(受賞者)
伊藤梢
(授賞対象論文)
Generative Moments in the Enactment of the Japanese Tea Ceremony
Japanese Review of Cultural Anthropology Vol.18 No.1、2017年)
(授賞理由)
 本論文は、日本における茶の湯の実践の場、すなわち茶会について、茶道具というモノ、出席する人々、そしてそこに織り成されるコミュニケーションを通じた相互的な社会文化実践による創造的かつ生成的なプロセスとして捉え考察した優れた業績である。
 茶の湯の学術的研究は、これを日本の伝統文化として本質化して「茶の湯とは何か」といった問いに茶書や歴史からせまるもの、あるいは文化人類学では茶の湯の世界観に象徴論的な儀礼分析を加えるものなど、いずれにしてもこれを言わば閉じたテキストとして分析してきた。近年ではより現代的事象として社会分析を加える研究もみられるが、本論文は、茶会を参加者がもてなしもてなされる一回限りの生成的なプロセスとして捉えることにより、本質化した茶の湯の考察とは異なる活き活きとした茶会と茶の湯実践の特徴を描きだしている。
 著者は、金沢の茶道界を調査の場として、そこで特定の茶人による茶の湯の勉強会などによる知識の伝達、茶席の準備と実際の場の進行にフォーカスすることで、人とモノ、そして茶会の席での対話の展開を濃厚に描出している。茶会の場で生じるモノ・人・コミュニケーションによって、茶会が成り立ち、茶の湯の世界が生成し、参加者にとって「良い茶会」として経験されるプロセスが見事に分析されている。そのために著者は、あえて美学的な解釈に背を向けて、行為主体的なモノの関係性に焦点を当てるアルフレッド・ジェルの芸術の人類学の手法と概念を用い、かつ茶会を取り巻く上下関係が茶席でどのように動員されているかを論じている。理論的考察と民族誌的記述が自然に進行するなかで新しい茶道論を提示することに成功している。
 本論文は、モノと人のエイジェンシーを通じて茶会という場を分析した芸術やパフォーマンスの研究として優れた文化人類学的業績である。茶の湯という日本の伝統文化の世界を、特異でエキゾチックな世界ととらえがちな外からの視点に対し、現代の文化実践として文化人類学的概念を用いて分析し、それを英語で発信することに大きな意義があり、日本人人類学者による日本研究の可能性を示している。今後の茶の湯や日本の伝統文化研究に一つの道筋を作った論文として、高く評価し、第14回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第13回日本文化人類学会賞の授賞

2018年06月03日

 日本文化人類学会は第13回日本文化人類学会賞について該当者なしとした。

第13回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2018年06月03日

 日本文化人類学会は第13回日本文化人類学会奨励賞を下記の2名に授与することとした。
(受賞者)
濱谷真理子
(授賞対象論文)
「贈与に見る女性行者の社会関係―北インド・ ハリドワールにおける招宴の分析から」
(『文化人類学』第81巻2号、2016年)
(授賞理由)
 本論文は北インドのガンジス河畔に位置する巡礼地ハリドワールで暮らす、ヒンドゥー女性行者を対象とし、彼女らに対して施される様々な贈与の分析を通じて、女性行者たちの社会関係を考察した優れた業績である。男性行者が出家制度に基づいた自分たち自身の共同体を形成しているのに対して、正式な出家が認められていない女性の「家住行者」は、出家制度と世俗社会のはざまで生きていかざるをえない。彼女たちは、複雑に階層化している北インドの社会のなかでも、何重にも周辺化され下層に位置づけられている。こうした人びとを対象に人類学的フィールドワークを実施することの困難さは容易に想像できる。著者は、男性グルに弟子入りし、僧衣をまとって女性行者の一員として乞食(こつじき)実践に1年半近く参加することによって、この困難さを克服し、彼女たちの視点から厚い民族誌記述を行うことに成功した。この事実自体が、民族誌的研究としての評価に値する。
  女性行者にとって、乞食とはたんなる宗教行為ではなく、毎日食べて生きていくための手段である。かならずしも招かれているわけではない招宴にいかにもぐりこみ、飲食の接待を受け、贈り物を受け取るかは、彼女たちにとって死活問題である。それは自己の生存のための手段であるばかりでなく、招宴に関する情報は利他的に共有されるとともに、受け取った贈り物は家族や他の行者に再分配される。つまり、乞食をめぐる過程は、社会的関係性が発現する場そのものなのである。
 本論文は、以下の2点において優れた人類学的研究である。第一に、贈与をつうじて形成される女性行者の社会的ネットワークを、民族誌的に詳細に記述している点である。第二に、このネットワークにおける、贈与をモラルの問題として位置づけることによる理論的な分析に成功していることである。つまり、女性行者たちは互酬性と純粋贈与とのあいだの均衡をはかりつつ、積極的な再分配に価値を置いて、男性行者とも在家行者とも異なる贈与のモラルに基づき、越境的ネットワークを形成していると、説得的に論じている。
 以上の理由により本論文を高く評価し、第13回日本文化人類学会奨励賞を授与する。
 
(受賞者)
深川宏樹
(授賞対象論文)
「身体に内在する社会性と『人格の拡大』― ニューギニア高地エンガ州サカ谷における血縁者の死の重み」
(『文化人類学』第81巻1号、2016年)
(授賞理由)
 本論文は、ニューギニア高地エンガ州サカ谷に居住する、エンガ語を母語とする人びとを対象に、怒りや悲しみといった感情に注目して身体性と人格の概念の再検討を試みた、優れた人類学的研究である。本論文は、著者がサカ谷の一村落で実施した1年8か月にわたるフィールドワークの成果であり、堅実な民族誌的調査を基盤としている。社会−身体論的に人格を捉える観点は、人類学の古典的課題であると同時に、マリリン・ストラザーンらの寄与によって近年大きな展開を見せている現代的課題でもある。著者はストラザーンのフィールドに隣接した地域で得た民族誌的情報に基づき、ストラザーンの研究を批判的に継承しつつ、この古典的課題に果敢に挑戦している。
 ストラザーンに代表されるメラネシアの人格論においては、人格と身体は、交換関係の連鎖という社会過程が展開する場と捉えられ、必然的に人格や身体の生産や再生産、成長といったポジティブな現象を前提としている。それに対して著者は、身体はそれ自身を産み出し成長させた過去の関係を客体化し可視化するという先行研究の視点を共有しつつも、先行研究がなおざりにしたネガティブな側面に焦点をあてる。サカ谷の人びとのあいだでは、エンガ語で「重みkenda」と呼ばれる怒りや悲しみの感情が、血縁者間の争いや軋轢において、自他の身体に病や死をもたらすとされている。この「重み」は、身体の概念であると同時に、関係の概念でもある。著者は主として2つの事例の分析に基づき、議論を展開している。そこで注目されるのは、「我が身を滅ぼすほどの強烈な感情」である。この感情は、社会関係の非生産や身体能力の徹底的な減退、つまり関係の断絶や病や死の原因となる。こうした危機的状況において、当事者たちは、身体の不可視の領域の偶然性に左右されつつ、関係性の限界地点に達することになる。著者は、そこで社会規範や社会全体に議論を還元することを慎重に回避しながら、死の局面で生じる「人格の拡大」に議論を収斂させる。
 以上の理由から、本論文はメラネシアに関する人類学的研究で展開されてきた人格論に対する、重要な理論的貢献であることを高く評価し、第13回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第12回日本文化人類学会賞の授賞

2017年05月28日

 日本文化人類学会は、第12回日本文化人類学会賞を田中雅一氏に授与することとした。
(授賞対象業績)
宗教、性、暴力等の課題の探求を通じて文化人類学の可能性を開拓した一連の研究
(授賞理由)
 田中雅一氏は南アジア世界の宗教人類学的研究を出発点に、性、暴力、フェティシズム、軍隊等の諸課題の探求へと研究領域を拡げて、日本を含む現代世界の文化人類学的研究において先導的役割を果たしてきた。
 田中氏の一連の業績には、単著であるPatrons, Devotees and Goddesses: Ritual and Power among the Tamil Fishermen of Sri Lanka (Manohar, 1997年) 、『供犠世界の変貌―南アジアの歴史人類学』(法蔵館、2002年)、『癒しとイヤラシ―エロスの文化人類学』(筑摩書房、2010年)のほか、共編を含む編著には『暴力の文化人類学』(京都大学学術出版会、1998年)、『女神―聖と性の人類学』(平凡社、1998年)、『植民地主義と人類学』(京都大学学術出版会、2002年)、『ミクロ人類学の実践―エイジェンシー/ネットワーク/身体』(世界思想社、2007年)、『フェティシズム論の系譜と展望』(京都大学学術出版会、2009年)、『越境するモノ』(京都大学学術出版会、2014年)、『コンタクトゾーンの人文学』(全4巻)(晃洋書房、2011?13年)、『軍隊の文化人類学』(風響社、2015年)等の論集、『ジェンダーで学ぶ文化人類学』(世界思想社、2005年)、『ジェンダーで学ぶ宗教学』(世界思想社、2007年)、『南アジア社会を学ぶ人のために』(世界思想社、2010年)等の初学者向け入門書、さらに『文化人類学文献事典』(弘文堂、2004年)が含まれる。
以上の著作は、供犠や親族関係等のいわゆる文化人類学の古典的テーマから、軍隊や売買春等、これまで斯学の研究領域としての蓄積が乏しかったテーマまで多岐に亘るが、そのいずれもが日本、南アジアおよび欧米における文化人類学的研究の最前線の理論的展開の入念な批判的検討と複数の場所における堅実な民族誌的フィールドワークの成果に基づいて、一貫した視座のもとで物され、高い学問的水準を有している。常に新たな研究テーマに与し、文化人類学の新たな地平を開拓して研究成果を公表するだけでなく、京都大学人文科学研究所を拠点に数多の共同研究を組織し、大学組織とディシプリンの枠を超えて若手研究者育成において多大な貢献を成してきたことも特筆に値する。
 以上の貢献を高く評価し、田中雅一氏に第12回日本文化人類学会賞を授与する。

第12回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2017年05月28日

 日本文化人類学会は第12回日本文化人類学会奨励賞を下記の2名に授与することとした。
(受賞者)
橋本栄莉
(授賞対象論文)
「現代ヌエル社会における予言と経験に関する一考察」
(『文化人類学』第80巻2号、2015年)
(授賞理由)
 本論文は、南スーダンのヌエルの人びとのあいだで流通する予言に注目し、彼らが直面している様々な出来事――不妊、民族間の武力紛争、政治・軍事的事件など――を、予言とその背景にあるクウォス(神、神性)を媒介にして、いかに新しい経験として認識しているかを探求した論考である。22年間継続したスーダン内戦と2005年の包括和平合意、そして2011年の南スーダン独立に至る政治・社会的動乱のなかで、100年以上前に偉大な予言者が遺した予言は、キリスト教神学の影響も取りこんで、新たな意味を付与され続けてきた。著者は、既存の予言者研究の閉鎖性を批判しつつ、エヴァンズ=プリチャードによるヌエルの予言者とクウォスに関する研究に依拠し、主体が神性によって働きかけられる対象となる経験の配位に注目したリーンハートのディンカ宗教の研究を援用して、議論を展開している。論点が未整理のまま広がりすぎているという不十分点はあるが、著者自身によるしっかりとした民族誌的調査の成果である豊かな事例が提示され、結論は説得的である。
 ヌエル人に関しては、アフリカの諸民族のなかでも、もっとも分厚く質の高い人類学・歴史学的研究の蓄積がある。そのなかで、現在でも生成過程にある予言をめぐる語りを軸として、神性と経験という領域に新境地を開拓した著者の人類学者としての力量は、高い評価に値する。本論文は、古典的な人類学研究の今日的意義をあきらかにし、内戦と平和の動態的な状況下における人びとの特異な経験を深く理解するうえで、人類学が依然として有効であることを示した優れた論文である。
 以上の理由により、本論文を高く評価し、橋本栄莉氏に第12回日本文化人類学会奨励賞を授与する。
 
(受賞者)
奈良雅史
(授賞対象論文)
「動きのなかの自律性―現代中国における回族のインフォーマルな宗教活動の事例から」
(『文化人類学』第80巻3号、2015年)
(授賞理由)
 本論文は、中国雲南省昆明市における回族の人びとによるインフォーマルなイスラームの宗教活動を対象にして、現代中国における民族的マイノリティである回族の自律性のあり方を考察した論考である。マイノリティと国家の関係に関する人類学的研究では「抵抗」が主要なテーマとなってきた。それに対して、本論文の対象となっている回族の人たちは、国家と正面から対峙することを回避しつつ、「国家をかわす」ことによって自律性を確保しようとしている。国家による強固な管理と統制のもとで、人びとは国家に取りこまれてしまった宗教的指導者に対する嫌悪感を示しながらも拒否はせず、制度の「外」でインフォーマルな宗教教育を組織するなど、不断に動き続けることで対応している。本論文は、堅実なフィールドワークのデータを提示しつつ、複雑に相互浸透する国家制度と人々の宗教実践の全体像を描き出し、国家権力の網の中に捉われつつも、自律性を実践している姿が明確に記述・分析されている、優れた研究である。
 理論的には、中国の諸民族に関する人類学的研究の枠を超えて、フーコーやスコットの権力論やアサドの宗教研究との関連のなかで、自らの研究をしっかりと定位していることも高い評価に値する。国家権力と正面から対峙することが現実的には困難な状況下で、表立った抵抗という選択肢をとらず、「国家をかわす」様々な技法を発達させることで自律の空間を確保している事例を実証的に研究した本論文は、人類学的な抵抗論に新たな展開をもたらすものである。これは、「ハード」な抵抗に対置される「ソフト」な抵抗、あるいは「面従腹背」に関する意欲的な研究であると位置づけることができる。他の国や地域に対する応用の可能性も期待される。
 以上の理由により、本論文を高く評価し、奈良雅史氏に第12回日本文化人類学会奨励賞を授与する。


第11回日本文化人類学会賞の授賞

2016年05月29日

 日本文化人類学会は、第11回日本文化人類学会賞を清水展氏に授与することとした。
(授賞対象業績)
『草の根グローバリゼーション―世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(2013年、京都大学学術出版会)に代表される一連の「コミットメントの人類学」研究
(授賞理由)
 清水展氏は、フィリピンでの長期間にわたる現地調査に基づき、これまで、Pinatubo Aytas: Continuity and Change (1989年、Ateneo de Manila University Press)、『出来事の民族誌―フィリピン・ネグリート社会の変化と持続』(1990年、九州大学出版会)では、ピナトゥボ・アエタの日常生活の安定した連続性を断ち切る大小の事件、『文化のなかの政治―フィリピン「二月革命」の物語』(1991年、弘文堂)では、1986年のフィリピンのピープル・パワー革命という出来事、The Orphans of Pinatubo: Ayta Struggle for Existence (2001年、Solidaridad Publishing House)、『噴火のこだま―ピナトゥボ・アエタの被災と新生をめぐる文化・開発・NGO』(2003年、九州大学出版会)では、1991年のピナトゥボ山の大噴火という出来事を取り上げ、過去5年間では、『草の根グローバリゼーション―世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(2013年、京都大学学術出版会)において、世界遺産に登録されたイフガオの棚田村を巡るグローバリゼーションというより大きな出来事を取り上げ、環境の変化と生活の変遷における出来事への注視という一貫した研究姿勢の下、独創的な研究を展開してきた。
 アエタに関しては、ピナトゥボ山の大噴火による移住と生活様式の転換、新たな土地におけるコミュニティ復興過程を詳細に追い、イフガオに関しては、開発による森林破壊のために従来の生活様式を保つことが困難になったため、植林運動を通じてグローバル支援を取り付け、コミュニティと生活の再生を行う過程を、植林運動を推進する指導者と自らを真のフィリピン人として作り直そうとする映像作家という二人の人物の姿を通して、「草の根」グローバリゼーションの一つのあり方として、生き生きと描き出している。
 清水氏の研究の特質は、これらの出来事を単なる傍観者として眺めるのではなく、そこに積極的にコミットする点にある。ピナトゥボ山の大噴火の際には、その最大の被災者であったアエタの緊急救援や復興支援に深く関わることを通して、現地に巻き込まれて行く人類学を模索・試行し、イフガオの植林運動に関しては、その積極的な支援者として、ドナーへのプロジェクト申請を手伝い、プロジェクト評価を行うなど、開発援助に意図的・戦略的に関わって行く「コミットメントの人類学」を実践する。
 清水氏は、現実として目前にすすむ状況、急激な変化において受動的であった先住民が戦略的・積極的に行動に移るモメントとその姿を重視し、自らの逡巡の中で着地点を模索しながらそこにコミットして行く姿を同時に描き出すことによって、人類学の方法としての参与観察の精神をラディカルに追求し、参与と観察のバランスについて我々に再考を促す。このような清水氏の研究姿勢は、とりわけ開発や災害、紛争や難民、政治運動や社会運動、貧困、性的マイノリティ、生命倫理など、積極的にコミットすることが求められる現場で調査を行う人類学者への新たな指針となろう。
 以上の貢献を高く評価し、清水展氏に第11回日本文化人類学会賞を授与する。

第11回日本文化人類学会奨励賞の授賞

2016年05月29日

 日本文化人類学会は第11回日本文化人類学会奨励賞を佐藤若菜氏に授与することとした。
(受賞者)
佐藤若菜
(授賞対象論文)
「衣装がつなぐ母娘の『共感的』関係―中国貴州省のミャオ族における実家・婚家間の移動とその変容」
(『文化人類学』第79巻3号、2014年)
(授賞理由)
 本論文は、中国貴州省のミャオ族における民族衣装と母娘関係に焦点を当て、衣装の制作・所有・譲渡の様態と結婚後の女性の実家・婚家間での移動パターンとが1990年代に大きく変化したことに着目し、母娘関係が民族衣装を介して「共感的」に構築されていることを鮮明に描き出した論考である。ミャオ族の女性の民族衣装はかつて女性自らが制作し着用する日常着に過ぎなかったが、盛装の普及、洋服の日常着化、出稼ぎによる現金獲得等により、儀礼的機会に着用する礼服としての性格を強め、威信財としての価値を持つようになった。また、教育の普及と出稼ぎの一般化にともない、衣装の制作主体が娘(女性自身)から母親に移行し、かつて女性は婚礼後一定期間をおいて夫と暮らし始めるのと同時に婚家に自ら制作した衣装を持参したが、実家から婚家への女性の移住が早まるとともに、実家の母親が娘の衣装を保管し、その後段階的に母親から娘に譲渡されるようになった。本論文では、民族衣装の威信財化、制作主体の変化、婚家への早期移住、母親による保管・譲渡といったこれらの現象の相互連関の中で、民族衣装というモノを媒介として構築される母娘関係の動態がきわめて説得的に描き出されている。
 本論文は、中国貴州省のミャオ族を対象とした綿密な現地調査に基づき、民族衣装と母娘関係に関する民族誌資料を丹念に提示すると同時に、近年の親族理論の進展ならびにモノと人との全体を捉える今日的なアプローチを踏まえて考察を深化させてゆく意欲的な論考として、第一級の価値を持つものと言えよう。
 以上の理由により、本論文を高く評価し、日本文化人類学会研究奨励賞を授与する。


第10回日本文化人類学会賞の授賞

第10回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第9回日本文化人類学会賞の授賞(該当者なし)

第9回日本文化人類学会奨励賞の授賞(該当者なし)

第8回日本文化人類学会賞の授賞

第8回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第7回日本文化人類学会賞の授賞

第7回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第6回日本文化人類学会賞の授賞

第6回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第5回日本文化人類学会賞の授賞

第5回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第4回日本文化人類学会賞の授賞

第4回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第3回日本文化人類学会賞の授賞

第3回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第2回日本文化人類学会賞の授賞(該当者なし)

第2回日本文化人類学会奨励賞の授賞

第1回日本文化人類学会賞の授賞

第1回日本文化人類学会奨励賞の授賞