2000年2月29日

科学技術庁研究開発局ライフサイエンス課
生命倫理対策整備室 御中

日本民族学会理事会

「ヒト胚性幹細胞を中心としたヒト胚研究に関する基本的考え方(案)」

(科学技術会議ヒト胚研究小委員会報告案)に関する

日本民族学会理事会の見解

 本学会は、上記ヒト胚研究小委員会報告案(以下「報告案」と略記)全文を確かに拝領致しました。「報告案」に添えられた本学会宛の2月3日付書簡の中で、貴局池田要局長は、この「課題の審議にあたり、国民の意見を反映していくことが重要であるとの認識のもとに、(中略)広く意見を求める」方針を明かにして、本学会にも意見を寄せるよう要請しておられます。本学会理事会は、お申し越しのご趣旨に賛同し、以下の通り我々の意見(以下「見解」と略記)をお伝えする次第です。
 ところで、同封されている「科学技術会議ヒト胚研究小委員会報告の公表と意見募集について」と題する文書(以下「意見募集について」と略記)の【募集要領】の項では、「記入に際しては、御意見を述べる箇所の目次該当部分(例:II.1.(1))を明記した上で、必ずその理由を記入して下さい」と、回答上の具体的な指示がなされています。ただし、その直前には「御意見は自由に記入して下さい」とも記されています。このご指示は、各論のみを募って総論を排除するものではなく、むしろ全体的な見通しに裏付けられた実践的な提言を求めているものと判断致しました。
 そこで、お求めに応じて、まず個別の事項についての意見を具体的に述べたうえで、次に「報告案」の全体、ならびに今回の意見募集のあり方についての意見を述べさせて頂きます。というのは、上記の判断の通り、そうすることによって一見相矛盾する二つのご要望の調和を図り、お申し越し本来の趣旨に沿った回答ができると考えるからです。即ち、本学会理事会「見解」の書式が募集要綱にできるだけ忠実に沿おうとする努力の結果であることを、ご明察頂けるものと確信致します。
 なお、池田要局長は、上記書簡で、「お寄せいただいた御意見について、公表を望まれない場合についてはその旨をお知らせ下さい」と述べられて、原則として、公表を前提に意見を寄せるよう要請されています。ただし、上記「意見募集について」も同様の趣旨を述べる一方、【頂いた御意見の取扱い】の項では、「この募集要領に沿わない御意見の場合には、やむを得ず無効とさせていただくことがあります」と留保を加えてもいます。あるいは齟齬とも取られかねないこの不整合は、本学会理事会の「見解」が恣意的に取扱われる余地が些かでも残されているのではないか、との懸念を抱かせます。しかしながら、我々が今回の意見募集の意図に忠実に即すべく、最大の努力を傾注して本学会理事会「見解」を纏め上げたことは、上にご説明申しあげた通りです。僣越ながら、その意のある所を正しくご理解賜り、全文が一つの有機的全体をなしている本学会理事会の「見解」全文を、遺漏無くご公表下さるようお願い申し上げます。この点で御高配を賜りたく、あえて書き添えさせて頂く次第です。

I.「報告案」各項目に関する意見

 「報告案」は、一言で要約すれば、ヒト胚性幹細胞を扱う生命科学分野の研究活動が社会と調和的に実施されるための方策を具体的に提言するものである。「報告案」の記載内容は、この点に関わる諸々の事柄をかなり網羅的に検討しており、今後国民的な合意を形成して行くうえでの叩き台となり得るものと判断する。
 しかしながら、一方では、以下のようにさらに踏み込んで検討を加えるべき諸点も少なくない。

    A.第1章 ヒト胚研究をめぐる動向

    a.2.ヒト胚性幹細胞の樹立−(3)ヒト胚性幹細胞の応用

     胚性幹細胞を使えば「治療に必要な移植用の細胞の作成が可能で」あり、「技術が進歩すれば臓器を作成することも可能である」として、考え得る医療的なメリットを列挙し、それを実現するための望ましい手法も提言している。ただし、それがもたらし得る医療上のデメリットについては一言も触れていない。この意味で、事の半面のみを強調して均衡を欠いた感は否みがたい。現実を総体として捉える冷静な判断が不可欠であり、この技術の危険性も立ち入って吟味し、列挙しておく必要がある。
     また、人間は世界中どこでも生体医学的にはほぼ同一の身体条件をもつにもかかわらず、身体状況の把握の仕方やそれへの対処の仕方には実に多様な変異が見られる。個々の医療現場でのこうした社会・文化的な要素の解明をもって初めて効果的な医療が達成できることは、今日では医療の常識である。そして、諸外国では医学教育の重要な一環として医療人類学が位置づけられ、必須の学科となっている。しかるに、ここでは、医療人類学的な洞察や配慮が一切顧られていない。強く再考を求めたい。

    b.4.主要諸外国の対応

     各国の対応を、否定的な部分も含めて、客観的に記述しているといえる。だが、その記述のあり方は抽象的であり、各々の国がそれぞれの対応を決定するに到る実際の過程とその社会的背景が一切論じられていない。この点で、不満が残る。
     「イギリス」を例にとれば、当時、遺伝子組み換え食品の安全性が様々な形で議論され、大きな社会的関心を呼んでいた。ヒト受精・胚機構(HFEA)とヒト遺伝子諮問委員会(HGAC)が共同で提出した報告書である「生殖・科学・医療におけるクローニングの問題点」(1998年12月)には、その際の論議から得られた洞察が活かされている。その論議の内容と政策決定までの過程には、学ぶべき点が少なくないい。また、イギリス以外の国々についても同様であることは、多言を要しない。
     ところが、「報告案」は、技術的な側面のみを問題としており、その技術が埋め込まれている各国の社会・文化的な側面の紹介と検討を完全に避けているという印象を与える。しかし、当該の問題は各国の社会的な現実に即して、個別・具体的な脈絡で把握され、論議されるべきである。そうした検討を抜きにした諸外国との単純で抽象的な比較は、実質的には大きな意味を持ちえないと判断する。

    B.第2章 ヒト胚の研究利用に関する基本的な考え方

    a.1.基本認識

     ここでは、医科学に新たな可能性を開くヒト胚研究の実践と「人の尊厳」の両立を図るために、この研究を行う目的と条件、ならびに限度の検討が必要だと指摘している。しかしながら、その記述内容はごく一般的で短く、踏み込んだ検討をあえて差し控えた印象を拭いきれない。そのゆえだろうか、文章も歯切れが悪く、意味がとりづらい。
     たとえば、次のように書かれている。「特に、ヒト胚性幹細胞は、その利用が長期にわたり継続的に使用されるものであり、発生・分化の基礎研究や細胞治療への応用に用いられる等の特徴を有することから、慎重な検討が必要である」。これは、恐らく、・初期胚の分子分化を抑制する特殊な環境下におかれることで胚が増殖と分裂を続けて無数の胚性幹細胞を生み出し得ること(「不死化」)と、・その結果、最初に提供された胚が長年にわたって継続的に研究に使われること、・それゆえに胚の提供者に心理的な負担を強いかねないこと、の3点を言おうとしたものだと思われる。しかし、少なくとも非専門家には、この文章の意味を正確に理解することは難しい。それゆえに、この文章に含まれる「慎重な検討が必要である」という表現はきわめて曖昧で、何をどう検討すべきだと主張しているのか容易に推し量ることができない。
     17行からなるこの節は、「なお、これらヒト胚研究に特有の種々の側面について社会の認識が高められる必要があり、今後、生命倫理委員会において、社会の意見を十分に汲み上げて議論を深めていく必要がある」と結ばれている。ここでも、「種々の側面」が具体的に何を指すのかは不明である。それゆえ、貴小委員会はきわめて抽象的な内容を取りあえずここに記しているに過ぎず、またこの面の検討をほとんど行っておらず、さらには検討の意思を強くもっていないのではないかという印象さえ抱かせる。
     すると、冒頭におかれた次の一文が或る既定の方向性を示唆しているのではないかと危惧される。「ヒト胚研究は、医科学上の可能性がある一方、人の生命の萌芽を操作するという点で人の尊厳に抵触しかねないとの危惧もある。また体外受精の結果得られ、使用されずに廃棄されるヒト胚が存在するのも事実である」。つまり、体外受精の際に余った胚(「余剰胚」)の利用を前提として、ひとまずヒト胚研究に着手しておき、社会的な側面の検討は後から徐々に進めればよいという方針である。
     我々は、この推論が現実とはならないこと強く望む。それとともに、貴小委員会には基本認識を丹念に説明する努力を惜しれまないように要望する。

    b.2.ヒト胚の位置付け

     7行からなるこの節では、ヒト胚は民法上の権利主体や刑法上の保護の対象にならないものの、子宮に着床すれば人になり得るので、「倫理的には尊重されるべきものであり、慎重に取り扱わなけれならない」と述べている。それは、「受精に始まるヒトの発生を生物学的に明確に区別する特別の時期はない」からだという。
     しかし、この簡単な記述で事足りるだろうか。人や生命の尊厳を重視するという以上、人や生命とは何かについて大きく踏み込んだ議論を前提にしなければならない。しかも、それについては、宗教や文化を初めとする様々な根拠から多様な主張が既になされている。文化とは、本来どこにも切れ目なく連続する自然状態に切れ目をいれて「区別する」複合的な様式のことだ。つまり、「区別する特別の時期はない」「受精に始まるヒトの発生」をそれぞれの仕方で現実に区分しているのは、まさしく個々の文化なのである。したがって、それらの主張を具体的に突き合わせて検討を重ねたうえで、新たな社会的な合意へと導く多大の努力がなされなければならない。
     要するに、本章第1節「基本認識」の内容が曖昧である結果、それを踏まえた本節もまたきわめて不十分な内容に止まっている。

    c.3.ヒト胚の研究利用に関する基本的な考え方

     本節冒頭には、「人の生命の萌芽としての意味を持つヒト胚を、人の誕生という本来の目的とは異なる研究目的に利用し滅失する行為は、倫理的な面から極めて慎重に行う必要がある」と記されている。だが、それに直に続けて、「他方、次章で述べるヒト胚性幹細胞の樹立のように医療や科学技術の進展に極めて重要な成果を生み出すことが想定される」と記し、次いで研究上の8つの遵守事項が示される。さらに、この遵守事項が不妊の診断と治療の研究に限定されていた従来のヒト胚研究においても遵守されるべきだとする。しかし、本章第2節について上に述べたように、基本的な理念が曖昧なままで研究実施上の具体的な遵守事項を決めることには、根本的な問題が残るといわざるを得ない。
     そうした限定の下であえて第・項に言及しておきたい。同項は、個別のヒト胚研究の妥当性は、研究実施機関によって検討され、さらに国または当該研究機関以外の組織によって「確認」されるように求めている。だが、それでは不十分である。研究の妥当性を審査する、権威をもった第三者機関を恒久的に設置するべきである。即ち、この第三者機関には、研究の許認可、禁止、罰則に関する権限とともに、基本原則を継続的に再検討する任務を与えなければならない。
     また、この節でも「国民の理解が得られるよう、様々な立場や利害を考慮して議論され、その過程が公開される必要がある」との意見が付されている。しかし、ここでもそれを何時どの様な形でいかに実施するのかが全く検討されておらず、上記の遵守事項とは対照的に、提言には少しも具体性が感じられない。

    C.第3章 ヒト胚性幹細胞について

    a.1.基本的な考え方

     本節では、ヒト胚性幹細胞の樹立は、人工妊娠中絶による死亡胎児の組織を用いるEG細胞(embryonic germ cell) ではなく、当面は体外受精の「余剰胚」を用いるES細胞(embryonic stem cell) の樹立に限定するように提言している。そして、ヒト胚自体は法的な権利主体とまではいえず、この条件下なら、ヒト胚性幹細胞それ自体は核移植や他の胚と結合させない限り個体の産生に繋がらないので、その樹立と使用は重大な弊害を生まないとする。それゆえ、「研究者の自主性や倫理観を尊重した柔軟な規制を行うことが望ましい」のであって、「罰則を伴った法律による規制が不可欠なものではない」と結論づけている。
     この結論は、ヒト胚性幹細胞の樹立を最優先して、研究と社会との調和を後回しにし、徐々に倫理上の課題を解決しようとするものである。しかしながら、ヒト胚研究は、「報告案」(第2章1.)も触れている通り、ヒト胚の提供者に大きな心理的負担を負わせかねない側面をもっている。こうした現実がある以上、何よりもヒト胚の提供者の人権の保護こそが最優先されるべきである。
     先に述べた通り、「報告案」も8つの遵守事項を挙げ(第2章3.)、「国民の理解が得られるよう、様々な立場や利害を考慮して議論され、その過程が公開される必要がある」と記している。その第・項は、「ヒト胚の提供に際しては、提供者の個人情報が厳重に保護されること」となっている。国民の広い理解を得るうえでも、この趣旨の徹底に努めなければならない。したがって、「罰則を伴った法律による規制が不可欠なものではない」という見解は、厳しく見直すべきである。さもなければ、遵守事項の実効性が保証されないと考える。

    b.2.ヒトES細胞の樹立の要件−(2)ヒトES細胞の樹立にヒト胚を使用する際の留意点

     ここでは、列挙された7項目の中でも、特に、「凍結期間を除き、受精後14日以内のヒト胚を使用すること」という第・項を取り上げて論じる。端的にいえば、問題は、なぜ「14日以内」なのか、その根拠が一切示されていないことにある。
     諸外国とは異なり、わが国にはまだヒト胚を用いる研究に関する法律がない。従来は、日本産科婦人科学会が1985年に出した見解に沿う限りにおいて、自由に研究できると判断されてきた。同見解は、ヒト胚提供者のプライバシーの保護、および受精後14日以内の胚を用いることのみを条件としている。「報告案」は、この見解を踏襲しているのかもしれない。仮にそうであっても、なぜそれを踏襲するのか、その根拠が示されていない。
     ここでも重要なのは、「人命の尊重」、あるいは「人の尊厳の尊重」という場合、人や人命を定義するための根本的な議論が一切なされていないことである。だから、「報告案」は我々に第・項の妥当性を判断するいかなる手掛かりも与えておらず、それを読んだ者は、賛同することも、また反対することもできず、判断停止の状態のまま置き去りにされるばかりである。このような形での意見の導き方は、不徹底であるばかりでなく、広く国民の意見を仰ぐという貴小委員会の方針に反するものであると言わざるをえない。
     確かに、イギリスの「ヒト受精と胚研究に関する法」(HFEA)にも類似の規定がある。それは、この法律の元になった通称 が胚に原始線条(primitive streak)が現れる時点をもってヒトの始まりみなすと述べた見解を基礎としている。しかし、この14日という規定もイギリスの世論や議会を二分したのであって、社会的な合意の形成はイギリスでも困難をきわめた。したがって、わが国でも、決して安易な姿勢をとるべきではない。
     なお、人や生命の定義の検討には死の定義の検討が付随しなければならないことを申し添えておきたい。

    c.3.ヒトES細胞を使用する研究の要件−(3)禁止事項

     ここでは、倫理上の大きな問題を伴うとの判断から、・「ヒトES細胞から個体を発生させる研究」、など4つの禁止事項が挙げられている。この他に、着床前の動物胚へのヒトES細胞の導入などの研究も、当面は原則的に認めるべきではないとされいる。
     この場合も、禁止事項が示されているだけで、違反者に適用される法的な根拠をもった罰則規定が設けられないことが問題である。そうした罰則規定を設けない限り、抜け駆けを狙った違反者が現れて大きな社会的な混乱が生じる可能性を否定できず、社会の不安を取り除くことはできないだろう。

    d.第3章 《別添1》 3.インフォームドコンセントのために説明が必要な事項

     ヒト胚提供者がインフォームドコンセントを与えることは肝要である。しかし、ここに挙げられている13の項目の文章は、いずれも非専門家にはきわめて分かりにくい。そればかりか、一般的にいっても、読み手の身になって分かりやすく意図を伝えようとする文書とはとても思えない。それゆえ、インフォームドコンセント規定を設ける趣旨を十分に反映し、具現しているものとは言いがたい。
     一例を挙げれば、第・項は「同意、拒否に関わらずドナーの治療に利益・不利益を持(ママ)たらさない」となっている。この文章の意図するところは、恐らく、「余剰胚(不妊治療に用いなかった胚)の提供に同意するかどうかが不妊治療に影響を及ぼすことは一切ない」ことだと思われる。第・項は、「同意書(イメージ)」(34頁)でもその一項目として活かされており、そこでは、「同意拒否に関わらず、利益や不利益を得ないこと」と表記されている・・原意からすれば「同意、拒否」が正しいように思われるが。
     これは、見かけほど些細な問題とはいえない。一般にわが国の医療慣行では、医師は患者に対して圧倒的に優位な立場にある。まして、不妊治療という特殊で、医師を選択できる幅の狭い治療においては、患者の立場は一層弱いものになりがちだと考えられる。だから、患者の自由な意思決定を保証する様々な努力が必要である。インフォームドコンセントの説明が十分に分かりやすい言葉でなされるとともに、合意書が一層明快な文体で記されることが、それを実現する具体的な一助となる。
     さらに重要な事柄は、インフォームドコンセントを得る時期である。「同意拒否に関わらず、利益や不利益を得ないこと」(余剰胚の提供に同意するかどうかが不妊治療に影響を及ぼすことは一切ないこと)を保証するためには、不妊治療が全て完了した後、ないしは不妊治療が放棄された後にインフォームドコンセントを求めるというルールが確立されなければならない。さもなければ、実際上、患者の自由な意思決定云々の文言は空文に等しいというべきである。
     さらに、「提供された胚は樹立過程で滅失すること」という、第・項にも触れておく必要がある。確かに、ES細胞の樹立は胚の滅失を意味する。だが、樹立されたES細胞は半永久的に・・しばしば提供者の死亡後も・・研究に供され続けるのだ。この事実も併せて明記されなければ、遺漏のない説明とはいい難い。
     ここで、比較参照のために、不死化した細胞の一例であるガン細胞を用いた研究にも言及しておきたい。実際、患者の提供したガン細胞が半永久的にガン研究に用いられる場合がある。しかも、ある国の一事例では、その半永久的に使用されているガン細胞が、それを提供した篤志の患者の死後も、長期にわたって、研究者の間ではその人物の名前を冠した通称で呼ばれ続けている。こうした事実を冷静に直視し、患者には誠意を尽さなけれはならない。つまり、意思決定の参考資料として、隠し立てすることなく知らせておくべきである。

    e.第3章 《別添2》「ヒトES細胞樹立機関の満たすべき要件」

     ここでは、書き出しとなる第一の項目が〈研究機関内での樹立体制及び審査体制〉となっている。だが、上記Dでも述べたが、イギリスのように研究の許認可権と処罰権限をもつ恒久的な第三者機関を設立し、その承認を得た研究機関のみがヒトES胚樹立に関わることができるという前提条件を設けなければならない。

    D.添付資料

     「報告案」には、それぞれ「ヒト胚性幹細胞(ES細胞)について」、「胚性幹細胞(ES)細胞の利用により生じると期待される効果」(以下「期待される効果」と略記)という表題の図解と、「用語集」が添付されている。これらは、理解を促すう えで効果的であり、親切である。
     しかしながら、それらは、市販の新聞や雑誌に掲載される同種の図解や用語解説と比較すると、格段に分かりにくい。正確を期すことは、明快であることと必ずしも矛盾しない。複雑な事柄を分かりやすく伝えようとすることにこそ図解や用語解説の目的がある以上、一層の工夫がなされるべきである。
     特に、「期待される効果」は、本「見解」第I部(A−a)で既に指摘したのと同様、ヒト胚研究のメリットのみを羅列する例である。この図は、例えば「期待される効果と予想される弊害」の表題の下に、デメリットをメリットと相関的に把握してヒト胚研究全体の分かりやすい鳥瞰を得る一助となるものにすべきだった。さもなければ、公正さを欠いた、誘導的な資料と批判されても仕方がないだろう。
     さらに、37頁には、ヒト胚研究小委員会構成員の一覧表があり、各委員の氏名の後には現在の社会的身分が示されている。ただ、これらの委員が国民のどの層を、あるいはどのような利益を代表しているのかが示されていない。それを知るには、少なくとも、それぞれの委員の造詣が深い分野、即ち研究者であればその専門領域が明示されている必要がある。できれば、略歴と共に主な業績も記載して欲しかった。こうした配慮があれば、この一覧表は、「報告案」をより綿密に検討するうえで一層有効な手掛かりとなったはずである。

II. 「報告案」全体、ならびに意見募集のあり方について

 この意見書の第I部に明記した通り、貴局がヒト胚研究の推進に先立って、広く国民の意見を求められたことを高く評価したい。
 その意思は、「報告案」各章の各節で繰り返し表明されている。殊に、「ヒト胚研究の在り方について具体的に検討する際には、研究の枠組みについて国民の理解が得られるよう、様々な立場や利害を考慮して議論され、その過程が公開される必要がある」(第2章3.,9頁)という表現に、それが凝縮されているといえよう。我々は、今回の意見募集をこの意思を実現する貴局の施策の第一歩として受け止め、それに応えるべく能う限りの努力を傾けた積もりである。
 しかしながら、「報告案」は本来、科学技術会議倫理委員会内に設置されたヒト胚研究小委員会の内部資料である。それゆえ、一般国民のみならず、当該の専門領域に直接関与しない学会にとっても、次の二重の意味できわめて難解なものである。つまり、高度に専門的な知識を反映した術語が一切留保せずに駆使されているばかりでなく、小委員会での検討内容が官庁特有の事務技術的な文体で綴られているからでもある。我々が「報告案」の趣旨を正確に理解しようとして多大の難問に直面した事実を顧みれば、一般の方々にはそれ以上の困難があると考えるのが妥当だろう。したがって、今回の「報告案」では、貴局の建設的な意欲と意思が十分に活かされているとはいえない。この点が何よりも残念である。今後あらためて、それを十全に活かす報告書を速やかに作成して、広く国民に周知する施策を講じて頂きたい。
 さらに、上の事実を差し引いても、意見募集のために設定された期間の短さと、時期の不適切さを指摘しておかなければならない。「報告案」を郵便で受領してから3週間余りの内にその内容を隈なく理解し、十分な検討を加えたうえで適切な回答を寄せることは、誰にとっても至難の業であろう。ヒト胚研究が関わりをもつ、あるいはもち得る領域の広大さ、また社会的な影響の甚大さを考えれば、貴委員会がこの間の事情を推察することは容易だったはずである。一般国民や諸学会から意見と助言を広く公募しようとする貴局の姿勢は、高く称揚するに値する。それゆえにこそ、一方ではなぜ十分に時間的な猶予を与える配慮がなされなかったのかという疑問を抱かざるをえない。
 殊に、本学会のように或る程度の規模をもつ学術団体では、構成員の多様な意見を汲み上げて比較考量し、その統一見解を得るべく、適切な手続きに従って慎重に合意形成を試みなければならない。特に、今回は、平成10年11月の「クローン小委員会」中間報告についての意見募集とは異なり、公開を前提として意見が募集された。したがって、本来なら、一層厳格に事を進めなければならなかったのである。
 くわえて、2月中の意見募集という時期の設定は適切とはいえない。学術団体の構成員の多くは、大学やその付置研究施設に所属している。2月前後は、周知の通り、各大学では学部や大学院の各種入学試験、卒業論文・学位論文の審査など、重要な事業が目白押しに実施され、ひときわ多忙を極める。それゆえ、役員に限っても、会合のために日程を調整することはきわめて困難である。今回の意見募集は、このような広く熟知された実情を無視しており、学術団体の運営への配慮が全く窺えない。
 以上の事情を総合すると、実は貴局が今回どれほどの切実さと配慮をもって意見募集に踏み切られたのか、忌憚なくいえば、大きな疑問が残る。本学会でも、用意周到に論議を積み上げることは実際上不可能であり、その結果、理事会名をもって回答するのが精一杯だったことを率直にお伝えする。
 それにもかかわらず、理事会の名をもって本学会を代表し、あえてこのような意見を寄せたのは、今回の意見募集の結果がわが国におけるヒト胚研究の今後に直結するからである。つまり、出来る限りの努力を尽くして今回の募集に応じることは、人文・社会系の学会の重要な社会的責務であると考えたのだ。
 科学技術の弛まざる発展は、多くの人々の福祉を向上させて来た。しかし、その一方では、いわゆる「公害問題」や核兵器を例に挙げるまでもなく、科学技術の独走が人間とその社会に幾多の災禍をもたらしてもきた。しかも、ヒト胚研究は、生命の発生と形成の過程に人間が直接介入する未曾有の技術に関わるものであり、種としてのヒトの将来を決定する重大な分岐点として位置付けられるべきものだ。したがって、今回の「報告案」に関して、一般の人々の声を代弁しようと努めることは、人文・社会系の学会にとっては避けて通ることのできない使命である。
 上記第I部でも述べた通り、「報告案」で現実的な観点から詳細に検討が加えられているのは、当面の技術的側面だけである。慎重な議論の積み重ねと国民各層からの意見聴取の必要性がその各所で表明されながら、いずれの箇所においてもそれらは抽象的な提言に止まり、実際の手順に少しも触れようとはしていない。この意味で、それらの見解はスローガンの域を一歩も出ていない。貴小委員会の構成員には、人文・社会系の研究者が幾名も名を連ねている。それにもかかわらず、「報告案」は一体なぜこのような内容と構成になったのだろうか。打ち消そうとしても、そうした不審を容易に抑えることができない。先に引用した通り、「報告案」は論議の公開原則の徹底を提唱している。それならば、「報告案」の作成過程自体もその趣旨に沿って公開され、論議に付されるべきであろう。
 「報告案」のテーマは、詰まるところ、ヒト胚研究の推進と人や生命の尊厳をいかに調和させるかである。しかし、それにもかかわらず、人や生命、或いはそれらの尊厳、さらには死の定義がどうあるべきかという、根本的な課題に踏み込んだ検討が全くなされなかったようだ。その検討には、ヒト胚性幹細胞の樹立だけに限定せず、受精卵を使った研究全体を包括的に展望して、均衡のとれた見通しを得なければならない。「報告案」が人や生命の定義に踏み込んで意見を述べなかったのは、或いは、ヒト胚性幹細胞の研究をともかくも最優先して始動させたかったからではなかっただろうか。
 しかしながら、ヒト胚性幹細胞の研究を推し進めるには、今回のように単純にそれへの賛否を社会に問うだけでは足りない。この研究に賛成であれ反対であれ、個々の多様な意見をその根拠にまで遡って論議を深め、徐々に合意を形成して行く必要がある。さもなければ、いかなる提案や実践も、徒に情緒的な対応を助長するばかりだろう。
 本学会理事会の意見は、社会や文化を静態的に捉え、既存の通念に沿った見解に一義的に与しようとするものでは決してない。近代における社会という概念は、個人の自立と自己決定の原則を前提として初めて成立し得るものである。だが、個人の自己決定の範囲が実際には多数者の承認とコンセンサスに縛られている現実があり、一方、ヒト胚研究の発展に依存しなければならない難病や奇禍による損傷の治療は、多くの場合、少数者の福祉に属するものである。したがって、少数者は社会の理解を求めて明快で強靱な主張をし、一方、社会は少数者の自己決定権を十分に保証しなければならないと考える。そのためには、人や生命、さらには死の定義を含んだ、論議の確固たる基盤を是非とも形成しなければならない。貴小委員会の貢献が最も期待されるのは、まさにこの点であった。それにもかかわらず、「報告案」では、その任務がすっかりなおざりにされている。
 昨今のマスコミ報道は、貴小委員会が本年3月中にも最終報告を提出する方針であると伝えている。しかし、本学会理事会は、以上に縷々述べた理由から、この方針を認めることができない。貴小委員会の来るべき「報告」は、「報告案」と同様、国民に開かれた論議の端緒をなすものと見るべきだ。今回一回限りの、しかも短兵急な意見募集によって重要な論議が尽くされるとはとても予想できず、したがって「報告」が結論となり得る条件が存在するとは到底言いがたい。殊に、第I部で詳しく述べた通り、十分な権限を付与された恒久的な第三者機関の設立が論じられておらず、またインフォームドコンセントに関する提言が不適切である事実を見過ごすことはできない。
 本学会理事会は、「報告案」で再三表明されているように論議過程の公開の原則に立ち返って、貴委員会が社会的な合意形成にさらに努力を傾注されるよう強く要望するものである。

以上