D-1. 佐藤 吉文(埼玉大学大学院 文化科学研究科)
垂直統御再考 −中央アンデス南部の考古学的視点から−
人間社会はそれを取り巻く自然環境の中で如何に自らを生産・再生産するのか。垂直統御はこのような人類学の大問に対してアンデス地域から提起された大規模で複雑な社会の形成に関わる独自のモデルである。
「垂直方向に配列された異なる生態学的階床の同時かつ最大限の統御」。ジョン・ムラが16世紀のエスノヒストリーをもとに提唱した垂直統御理論は現在でもアンデス研究に影響を与えつづける重要な仮説の1つである。しかし、「インカのように高地に政治的中心を置いた社会がいかにして大規模な人口を維持し、かつアンデス全域を覆うような権力基盤を築き得たのか」というポリティカル・エコノミーの視点から提起された彼の垂直列島モデルは、その当時の資料上の制約から不十分な点も多い。彼は垂直統御を動態として捉えていたが、彼の示した動態は異なる生態学的、社会政治学的環境にある社会の実践する垂直統御を進化論的に一本の発展段階上に置いたものであった。また、本拠地の変化が飛び地の機能などに変化を与えることを指摘した一方で、その逆に飛び地が本拠地の政治、経済構造に影響を与える可能性には言及していない。これはムラの垂直列島モデルの批判点である。
垂直統御を実践している大規模な社会が存在しない現在、垂直統御の動態的研究における考古学の役割は大きい。そこで、筆者は近年活発な考古学調査によってある程度その生産基盤まで議論され、考古資料の検討の結果、同じように垂直統御をおこなっていた可能性がある大規模な社会として中央アンデス南部ティティカカ湖南岸を中心として発展したティワナク(A.D.400-1100)をとりあげ、ムラの垂直列島モデルの再検討をおこなった。
その結果、ムラが垂直統御の動態的特徴として提示したような現象は確認できなかった。また、垂直列島モデルの批判点に対しては、垂直統御は単に本拠地が一方的に飛び地に影響を与えるだけでなく、飛び地を持つことによって本拠地は飛び地の経済能力を自らの内に取り入れ、それまでの経済構造を変化させる、他方高地の経済構造の一部として取り込まれた飛び地は自らの政治的、経済的重要性を認識し、自らを作り変えていく、このような現象は再び高地社会に影響を与え、高地の社会は飛び地を巻き込んだ全体としての社会のバランスを調整するために変化していくという、1つのシステムとして捉えるべきであるという仮説を提示できた。
垂直統御実践の主体を問題としたとき、垂直統御は現代のアンデス山間部で行われている環境利用と同じではない。ティワナクの事例からわかるとおりそれは大規模で複雑な社会の形成に関わるポリティカル・エコノミーであり、我々は従来のように垂直統御を単なる環境利用と捉える研究から再びムラの理論の目的意識を踏まえた研究に立ち戻る必要があるのである。
D-2. 小森 亜紀(明治大学大学院博士前期課程政治経済学研究科政治学専攻)
沖縄県南部地域における誕生儀礼と社会組織
本報告は沖縄県糸満市字米須において<誕生>という劇的な場面にみられる人間関係を検証し、その場面に表出する親族規範・規則がどのような変化を示し維持され機能しているのか、親族組織の現在について考察するのを目的とする。
沖縄では長く伝統的な出産体系を維持してきた。しかし、明治政府による琉球処分、旧慣温存政策、アメリカ軍政の政策および本土復帰によって出産体系に大きな変化がおきた。特にアメリカ軍政は沖縄における出産の大部分が<産婆>によって自宅で行われていることを問題視し、その考え方にもとづいた政策により1978年には施設内出生率99.5%に達した。出産をとりまく環境は約10年で激変したといえる。
一方で沖縄の出自集団の成員権は出生により、つまり長男のみに与えられる原則があった。また、キンドレッドは日常生活や通過儀礼などにおいて互助協力的な場面に多く使用され、父方母方の区別なくegoを中心とした親族関係による<つきあい>の範囲で世代を経てその範囲はことなる、とされている。1980年以降、親族研究は退潮していくがこれは沖縄の親族組織が失われたことを意味するものではない。<誕生>の場面に見られる人間関係はその文化の中心的な人間関係、つまり社会的ネットワークを照射するものと予想できる。大きく変化した<誕生>の場面で親族組織はいかなる変化を示し、また現在の親族規範・規則はどの程度維持、機能しているのだろうか。沖縄県糸満市字米須での調査資料をもとに誕生儀礼・社会組織を概観する。
出産形態は<伝統的>には産室はクチャで女性親族と産婆の立会いのもと行われ、病院での出産は異常時のみであった。戦後、施設分娩を奨励され助産婦の再教育が強化され、施設内出産が主流を占めるようになる。これによって誕生儀礼は簡素化、省略され無意識にその内容も変化した。妊娠中の禁忌は合併症の予防、忌明けの<ジルウリー><ハチアッチー>は入院期間、産後健診に変化した。しかし、これほどの変化を余儀なくされても<誕生>の場面にみられる社会的ネットワークには男子優先の原則、egoを中心に双系的で父母、兄弟姉妹を通じて拡大する親族体系をみることができるのである。現在の誕生儀礼は意図的に変化したものも含め<伝統的>誕生儀礼と比較すると内容も意味も異なるが、親族体系を比較するとその範囲・機能に大きな変化はみられていない。
これにより現在の<誕生>の場面においても人々の行動規範は理念としてその親族体系を維持しており、<誕生>は個人を中心に拡大しているかにみえて個人を<ゆるやかに>拘束していると指摘できるのである。
D-3. 輿水 辰春(慶應義塾大学社会学研究科)
「民俗芸能」に関する知識の一考察 〜山梨県南都留郡秋山村無生野大念仏を事例として〜
「民俗芸能」とは、様々な知識が交錯することによって形成される結節点の表象のようなものである。本発表では、無生野大念仏という、「民俗芸能」を事例とし、それを保存・維持・執行していく際に生起する様々な知識に光をあてることによって、一つの「民俗芸能」を継承し、執り行っていくこととは如何なることであるのかという点に関して論じる。
無生野大念仏の場合、村落社会で保存・継承されてゆくプロセスにおいて働く、身体技法と伝承に関連する2種の知識が、県や国からの重要文化財指定、あるいは外部からの研究者・調査者の存在によってもたらされた「民俗芸能」という概念により、どのように変容し、新たな知識を生成するのかという点が問題となる。大念仏は病人祈祷かつ魂に関する儀礼であり、そうした機能的な面から見れば社会を維持するための儀礼であるが、その執行には村落の構成員によって共有あるいは分有される知識が前提となる。しかしながら、知識は伝説・わざ・言説など多元的領域にわたり、意味や解釈は、時代・状況・社会的文脈に応じて変化する可塑性に富んでいるから、その変化に着目せねばならない。
現在においても儀礼的性質を色濃く残している無生野大念仏は昭和35年に山梨県指定を、平成7年に国指定を受けた「民俗芸能」である。この点で、儀礼と芸能の二重性の状況にあると言える。文化財指定を契機として大念仏は様々な点で変容を遂げてゆく。後継者不足の現在でこそ民俗芸能大会などへ出張し公演することも少なくなったが、県指定以後の数十年間は各所でのイベントへ出向き踊られることも多かった。この過程において、観客に「見せる」意識に基づいて変化が遂げられてきた。この動きはつまり、かつて信仰体系・日常生活の中に埋め込まれていた知識が、日常から乖離してゆくことを意味する。「知っていて当然の知識」から強制的な意味合いを持つ「知るべき知識」へと変貌したのである。
では、担い手たちの意識はどのようなものか。大念仏の起源伝承を重視する歴史派と、現在における実践を重視する非歴史派へと大別される。前者は、大念仏の起源伝承として現地、あるいは村発行の観光パンフレットなどで流通する14世紀の貴種流離伝承に拠って大念仏を執行するグループであり、後者は伝承に拠らずに現在的な見地から実践するグループであり、両者は起源伝承の二重性を巡って微妙な対抗関係にある。こうした多声的状況の中で、一つの芸能の執行に至るのである。
つまるところ、無生野大念仏は何であるのか。現地の言葉では「オドリ」「ダイネンブツ」と呼ばれるが、「オドリ」は芸能性を、「ダイネンブツ」は儀礼性を指し示すタームであり、「儀礼から芸能へ」という一方向的に変化してゆくものではないということが明らかになる。
D-4. 北村 毅(早稲田大学人間科学研究科)
「東電OL殺人事件」を巡る言説分析と汎買春社会の構造
1997年3月、円山町のアパートの空室で、東京電力の管理職OLの絞殺体が発見された。被害者が連日売春をしていたとの情報が報じらると、「キャリアウーマン」と「娼婦」の落差が過剰に演出され、その私生活が事細かに暴かれることとなった。数週間の過熱報道時期を過ぎた後も、被害者の「二重生活」の理由の探求に多くの言説が生産され、「東電OL物語」が消費されていったのである。既存の枠組みの中に、被害者の行動を当てはめ、解釈しようとしたのが一連の過熱報道と云えよう。あらかじめ「〜だから売春した」という仮説が用意され、虚偽を織り交ぜ巧妙にそれを実証しようとしたわけである。事件に対して未消化な思いにとらわれた社会は、その不可解な行動を消化する必要に迫られたのである。そこに展開された物語は、ありあわせのジェンダー・セクシュアリティ意識のブリコラージュと云うことができよう。本論文は、当事件を取り巻く言説を検証することによって、当該社会の「性の政治性」を解読しようという試みである。
過剰報道を許したのは、事件が「社会病理」の表現型であり、被害者が「社会病理」の体現者であるという論理であった。被害者の「二重生活」は、「社会病理」という枠組みの中で、「親密性からの疎外」「性の機能不全」というふたつの文脈の中で語られた。前者の文脈においては、被害者のトラウマがまことしやかに語られ、その男女関係の質的貧困さを逆算することによって、親子の情愛の量的欠乏が算定された。その結果、愛情の不足という宿命的な障害を背負った被害者の、愛の流離譚という物語が形作られていった。いわば、「近代家族」の理念と、「近代恋愛」の理想が、ともに裏切られた形として立ち上げられる必要があったのである。つまり、両者の優越性が、不幸な症例を通して、確認されたというわけである。さらに、後者の文脈において、被害者の性は、「女性性の否定形」として縁取られ、女性性の抑圧の結果としての売春という図式に塗り込められた。その性は、ジェンダー・セクシュアリティ両面の機能不全の欠陥例として処理された。女性の再生産労働からの逸脱(←社会進出)を「社会病理」として捉えることによって、事件報道は、逆説的に社会に有用な女性イメージを呈示する役割を担ったわけである。
以上の当該事件を巡る言説分析を踏まえ、「汎買春社会」という概念を提起し、その展開に、「階級」「差別」「権力システム」等の様々な位相を織り込んだ。このような本論文は、「メディア論」「ジェンダー研究」「売買春論」等、多様な性格を持つ。とはいえ、本論が最終的に拓こうとした地平を一言するならば、我々の社会が性に託しているイメージ、そこからフィードバックされる政治的なるものを辿ることによって、性現象の本流に繋がろうというものであったのである。