A-1. 辛嶋 博善(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程アジア第一専攻)
民俗知識と社会−モンゴル国遊牧社会の事例から
文化人類学において知識を対象とする場合、エスノサイエンスと象徴的知識、また、認知的側面と社会的位相は、それぞれ別々に研究されてきたが、本論文ではそれらの対象と領域の統合を試みた。
I 部では理論的考察を行なった。本論文では、日常認知研究の観点からエスノサイエンスを再考すると共に、記号としての意味作用を受け付けないという意味での象徴に、エスノサイエンスがなり得ることを指摘した。また、知識の社会的配分や正当性、知識と結びつく権威、イデオロギーといった民俗知識に関する研究はこれまで象徴的な知識を中心として研究がなされてきたが、本論文ではエスノサイエンスを対象として知識の社会的位相を考察する必要性を指摘した。
II 部では筆者のモンゴル国ウブルハンガイ県の調査に基づくデータを用いて検証した。 「陰暦二日の月」を見る行為は、気象予報という技術的行為と、見れば幸運が得られるという象徴的行為の二面性を持ち合わせる。気象予報の技術としては言語で語られる以上の知識を必要とする暗黙知といえるが、その習得の難しさが、コミュニティにおける知識の共有を阻んでおり、知識の不均衡配分を引き起こしている。逆に、象徴的行為は、単に月を見ることによって達成されるものであり、そこで得られるとされる幸運も個人的なものである。このことは、エスノサイエンスの方が、社会関係を形成することを示している。
民族地理学的な知識は、環境への適応の技術では捉えきれない面がある。調査地において、地名が平野部よりも山間部に付され、放牧に際して家畜の位置を伝達するために用いられたり、気温が低くなる場所に特定の語彙が与えられるなど、道具としての側面を持つが、放牧と居住と移動の実践において、同じ地形であっても異なる使い方をなされ、地形に関する現地の人の説明が、生業の実践とは一致しないこともある。このことから、民族地理学的な知識は空間に付された解釈であり、それゆえ不均衡配分を許すことになる。
最後に、エスノサイエンスの社会的位相について論じた。調査地において、牧畜技術指導書という国家の権威を借りて正当性を主張した人が、ものしりとして認められた。この牧畜技術指導書とは、牧畜に関する知識の普及を目的として社会主義時代に出版されたものであるが、同時に社会主義的国民国家の宣伝も意図していたと考えられる。こうした出版物が、均質な国民を創り出すという為政者側の意図とは裏腹に、社会の中にヒエラルキーを生み出すことになった。そして本来知識の正当性を獲得するはずのなかった一つの「異知」が正当性を獲得し、長老の知識から正当性を奪ったのである。こうした社会主義下での政策がその崩壊後に影響を及ぼしたのは、皮肉な結果といえる。
A-2. 森 仁志(立教大学大学院文学研究科地理学専攻)
ハワイ日系人のエスニシティと「ローカル」・アイデンティティ ―民族から全体社会へのアイデンティティの移行に関する一考察―
「民族意識は近代化、非近代化社会を問わず世界中で見出される人類が失うことのない最も基本的なアイデンティティである」[Keyes 1981:27]。本稿は、こうした従来のエスニシティ理論、つまり民族的アイデンティティの永遠の再生・維持という仮定が、果たして異民族間結婚が急激に進展するハワイの日系人に適応できるのかという疑問から出発している。本論では、この疑問に取り組むため、「混血」を含む四世への民族的アイデンティティに関するインタビューを中心的アプローチとして採用した。
実際のインタビューでは、まず、日系人カテゴリーが「純血」とそれに関連づけれられて理解される外見という基準により、比較的鮮明な民族的境界を形成していることが明らかになった。このため、「混血」の四世は積極的か消極的かにかかわらず、日系人のカテゴリーからはみ出さざるを得ず、こうしたアイデンティティ・ディレンマとも言える問題への彼らの対応には多様性が見られた。
この対応の一つとしては、従来のエスニシティ理論で指摘されてきたように、祖先の「血」の中から、どれか一つを選び出して自らのアイデンティティとするという方法がある。しかしながら、「混血」の四世は、概してこうした主観的な出自の選択という行為の困難さを主張し、複数の民族の中からどれか一つを選ぶという方法を拒否しつつ、むしろハワイ独自の地域的カテゴリーである「ローカル」への積極的なアイデンティティを表明した。
この「ローカル」はハワイ育ちの人々を集合的に表現する用語で、ハワイ全体社会を表象するカテゴリーとして1960年代半ばから生成してきた新しいアイデンティティである。このハワイ全体社会を表象する「ローカル」への「混血」の四世のアイデンティティは、従来の民族集団の維持・再生理論から逸脱するとももに、民族的アイデンティティが全体社会によって代替され得る、つまり民族集団と全体社会という一見異なるレベルのカテゴリー間の同質性や連続性を示唆する重要な事例と言える。
以上の事例を踏まえ、本稿の全体を通じては、民族集団と全体社会の間に厳格な区別を持ち込もうとする従来の議論を乗り越え、両カテゴリー間の同質性・連続性を論証することを試みた。この議論において、結果的には「混血」が一つの大きなキーワードとなり、常に複数の民族的カテゴリーの境界に位置する(させられる)「混血」が、民族と全体社会という一見異なるレベルのカテゴリー間の媒体となり、両カテゴリーの連続性を確立している現実が明らかとなった。
A-3. 石田 慎一郎(東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻)
婚姻慣行の変化と民事訴訟――西ケニア、グシイ民族の離婚訴訟と埋葬訴訟の分析
アフリカ法との対比における英米法の語り口は、英米の地域社会、下級裁判所、裁判外調停でみられる状況的な紛争調停の諸実践をしばしば度外視している。西洋の法と非西洋の法との比較が、アクセスの制限された制度領域としての国家法と、総体的な制度体系としての法文化との比較にすりかえられることさえある。だがケニアの多元法の場合、イギリス起源の法とケニア諸民族の固有法という対比において捉える立場は有効な分析枠組を提供するものではない。本研究では、地域社会と裁判所の民事訴訟というふたつのフィールドで得た知見から、ケニアの多元法をとらえるための記述理論の検討を試みた。
西ケニアのグシイ社会における婚資の支払は男女結合と父子関係に法的効力を与える法的契約である。ところが、1960年代以降、農民たちの間で婚資の支払なき同棲(以下、事実婚)が目立つようになった。その結果、婚資の不払を理由に、法的妻が享受すべき社会・経済的保障を与えられない女性が増加した。人口稠密なグシイランドでは土地をめぐり兄弟が対立するから、ステップ・マザーに婚資が未払の場合、父の死後、彼女とその息子たちを、「正妻」の息子たちが追い出そうとする。
埋葬訴訟とは、表面的には死者の埋葬地を争いつつ、遺産を争う訴訟のことをいう。本研究で扱ったグシイの埋葬訴訟4件の全てにおいて結婚が問題とされた。対立が生じるのは多くの場合、死者の血族と死者の配偶者との間である。慣習規範にうったえ婚資の不払を証拠として死者の同居相手に遺産の取り分を与えまいとする一方の当事者と、「配偶者」に与えられるべき権利だとしてそれをもとめる他方との間に利害対立が発生する。
理念的には婚資が不払なら慣習婚は成立しない。だが埋葬訴訟の判決において、婚資の支払が法律婚を成立させる唯一の法的要件ではないと言明し、他の諸条件を根拠に婚姻関係の存在を認める場合が二通りあることがわかった。積極的な反証がないかぎり、同居、出産、世評などを判断材料として「婚姻を推定する」コモンローの法概念によって、事実婚を「コモンロー婚」とみなす場合。慣習法の変化を強調する語り口によって事実婚は慣習婚の変形だとみなす場合である。ケニア法曹界では、国内の判例の蓄積によって形成される「ケニアのコモンロー」を強調したり、コモンローと慣習法は相補的に制定法の欠缺を埋めると評価したりすることがある。他方で、「コモンロー」を、慣習法によった言説への反論として提示する場合もある。いずれにしろ、裁判所では慣習法と成文法、慣習法とコモンローとの対比を強調する語り口が目立つ。だが、二つの法体系の拮抗関係が、「現実」として存在する社会的葛藤を構成しているわけではない。逆に、ケニアの多元法とは、紛争当事者双方と法曹が主張を展開する参照枠組を選択していく過程のなかで、そのつど状況的に構成され、姿を現すのである。
A-4. 今関 光雄(成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期)
ラジオリスナーの民族誌
角倉美奈(仮名)というラジオパーソナリティのリスナーは、番組へ「15日日曜11時、日比谷公園に集まろう」などと投稿して行う、「集い」という交流を続けている。その特徴は(1)美奈本人に会えるわけではないのにリスナーだけで集まること。本人と会える握手会などは「イベント」と呼ばれ、そこでもリスナーが出会えるが集いとは区別される。(2)ラジオを媒介にしているため不特定のリスナーが集まれること。(3)ファンクラブではないこと。美奈自身のポリシーとして、あえてファンクラブは作らない。「なぜかっていうとあたしはリスナーさんのことファンって思っていないことと、それからファンクラブってこう、ね、お金を持ってる人と持ってない人と限定しちゃってわけるのがいやだったから(中略)でもあのリスナー同士が仲良くなってリスナーズクラブを作って美奈にあの、いろいろ報告してくれたりすること、それが私は一番うれしいと思ってます」(2000年3月3日放送から)。1998年末から2001年1月まで約2年間、筆者が把握しただけで35回以上の集いと25回以上のイベントが行われている。
本論では、番組をどれだけ聴いてきたかという「リスナー歴」による「常連」と「新人」との関係に注目して、集いの成功と失敗を、ファンの集まりという面の「メディアコンテクスト」と友人の集まりという面の「対面コンテクスト」との変換過程として分析した(「コンテクスト」の用法はエドワード・ホールによる)。ラジオというメディアを介してリスナー同士の交流を深める集いは、メディア上で得た情報の交換というメディアコンテクストをもとに、相互交換的な友情を持続させる対面コンテクストをつくろうという試みであった。メディアは人を結びつけるものであるが、実際に身体をつき合わせて情緒的な結びつきを求める場合、さらなる対策が必要である。成功している集いでは、参加者のほとんどが新人であったため常連との軋轢がなく、誰でも楽しめる行事を最初にもってくることで対面コンテクストの構築がうまくいった。ファンであるうちは、メディアの情報に基づいた比較や取替えが可能な関係である。これはメディアによるコミュニケーションの極端な例として語られてきたおたく論に典型的に現れている。しかしそのような情報だけで満足しているという一般的おたく像に反して、角倉美奈のラジオ番組のリスナーは集いにおいて、持っている情報量だけで判断されたり承認されたりする関係すなわちメディアコンテクストにおける関係だけではなく、「単独性をもった顔のある誰か」として互いに承認しあう関係をつくるためのコミュニケーションをはかってきたのである。